「プライベート」記事一覧

「お詫び」

2022年1月17日

一昨年前から始まったコロナのパンデミックに長男虎之介が巻き込まれ、オミクロン株と診断され歌舞伎座を休演する事が余儀なくされました。
同居している私は濃厚接触者判定となり、共に休演の対象となってしまい自宅待機の指示を受けることとなり、多くの方にご迷惑をかける事態となり増したことをこの場を借りて、心よりお詫び申し上げます。

急遽代役に立ってくださった歌女之丞さん、京蔵さん、國久さんに御礼申し上げます。

また、同じく濃厚接触者に該当する可能性があり中村七之助、中村橋之助、中村 福之助、中村歌之助がのみなさんが休演の対象となってしまい楽しみにしていらしたファンの皆様にご迷惑をおかけしましたことを重ねてお詫び申し上げます。

幸いにも虎之介の症状は無く、保健所の指導の元自宅隔離をいたしております。
日にち経過を見て改めてPCR陰性を確認してからの復帰となりますのでその時には改めてご報告いたします。
感染者14日間濃厚接触者10日間の規則に乗っ取り復帰する予定です。

2月コクーン歌舞伎の脚本が8日に出来上がり10日に初めて皆で集まり本読み第一回目を行い、翌11日は歌舞伎座の休演日と重なり休みを挟んで12日に第二回目の読み合わせをして13日から立ち稽古という矢先の出来事で、2月のコクーン歌舞伎の準備にも影響が出てしまい、申し訳なく思っています。関係者の方々にもお詫び申し上げます。
私自身は全く体調不良がなく陰性判断でワクチンも2度打っていますが、待機しなくてはいけない現状が残念でなりません。

マスコミ発表から私自身のご報告が遅れましたことも重ねてお詫びいたします。

皆様もオミクロン株は感染力が強いようですので手洗い、うがい、消毒、マスクのご励行をお勧め致します。

一日も早い収束を願っていますがゼロになることは現実的ではないと思われますので少なくとも2類感染症から5類感染症への一日も早い変更を政府が決断することを願うばかりです。

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「61歳」

2021年12月20日

12月19日で満61歳を迎えました。
還暦からの一年はあっという間でした。
父の死後一年でやっと父を納骨できたことが節目となり気持ちも新たに歌舞伎に接しているような気がします。

恒例の皆が作ってくれる楽屋のデコレーションが何とも幸せな気持ちになります。

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恒例の甥の壱太郎からの演目に因んだケーキはいつもながら工夫を凝らしてくれてありがとう。お初の除幕の衣装の色と柄を模して簪が挿してありました。

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末富さんから頂くの和風ケーキ

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そして大好きなキルフェボンのケーキは虎之介から

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気持ちも新たにあと4日間のお初に臨みます。

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「12月5日」

2021年12月 5日

2012年12月5日
哲明(のりあき)さんのの命日です。
18代目中村勘三郎さんです。

もう9年経ちました。
隆行(七之助さんの本名)に曽根崎心中やらしたいんだよと言っていたのを思い出しながら
今日のお初を努めてきました。

哲明さんと曽根崎もやってみたかったですね。
あそこはこうここはこうとか思いを巡らしてみました。

会いたくなりますね今だに。

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「ご冥福をお祈りします」

2021年12月 2日

吉右衛門のお兄さんとは1986年NHK「武蔵坊弁慶」でご一緒させて頂いた懐かしい思い出がすぐに思い起こされます。TVの「鬼平犯科帳」でもゲストで一度呼んでいただいた事もありました。撮影の合間には必ずスケッチブックを出して絵を描いてらっしやったのが印象的でした。1983年に大学を卒業して舞台に戻ってすぐは忠臣蔵の四段目の残りの諸士や河内山の近習や多く勉強させて頂きましたし、同じB型で色々お話して頂きお兄さんのレベルの高いジョークについていくのに必死でした。その後当時の勘九郎のお兄さんとご一緒する機会が増えてからは播磨屋のお兄さんと舞台でご一緒する機会が減り残念でした。
昨年中村吉右衛門配信特別公演『須磨浦』は映像でしたが画面の前で感動したのをよく覚えています。お兄さんの藝に対する思いが全て詰まっていたように思えました。
偉大な先輩のご逝去は残された後輩たちに大きな責任がかかってきます。今月は父の追善をやらせていただくことでしっかり責任を果たしていきたいと思っています。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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「一周忌」

2021年11月12日

令和2年11月12日に父が亡くなって早いもので一年。

先日ブログにも書いたとおりコロナ禍で本葬を見送っておりましたが、緊急事態宣言の解除を受け先月10月28日にThe Okura Tokyoに於いて「坂田藤十郎偲ぶ会」という形で父を送る機会を設けさせて頂き、翌29日に納骨と一周忌法要を鎌倉霊園でとり行い

「妙藝院殿藤久日宏大居士」

青山妙円寺のご住職にお付け頂いた素晴らしい戒名で送ることができました。
"コロナ禍でもちゃんと送ってや"と言ってる父の声が耳元で聞こえたような気がする。
そこにいるべき人が居なくなった後というのは人によってさまざまな感じ方があると思うが
この一年間役作りで、父だったらこうやってただろう考えることは常にあるが、実は存命中も同じ事をしていた事にふっと気づいた。教わる前に自分で考える習慣は父の死に動ずることがなかった一つの理由かも知れない。もちろんアドバイスは受けられたら尚更いいに決まっているが、それは今はできない。それだから余計に色々頭を巡らせより考え、勉強というより研究と稽古に向かうことになる。

「世阿弥のことば100選」を久しぶりに読み返した。
曽根崎が決まってから近松門左衛門の床本を読み返した。

徳兵衛を務めたときに宇野先生の脚色と近松の原作にかなりの違いがあることに驚いとことを思い出した。
生玉の境内の場で徳兵衛が
「三日を過ごさず大阪中へ、死してもまうしわけはしてみせませう」
という原作を
「三日をすぎず、大阪中へ申し訳はしてみせまする」
と宇野先生は脚色なさっているのを見つけたんです。
死してもという言葉を抜いてらっしゃる。
今となっては理由は聞けないのですが、原作からゆくと徳兵衛は生玉で死を仄めかす意地と悔しさを滲ませている。ここが徳兵衛の役作りの原点になったんです、弱々しい上方のつっころばしとはまた少し違った実は芯の強い男の部分も持ち合わせていると感じ取ったんです。祖父二代目鴈治郎の徳兵衛はどちらかというとつっころばし系の役作りでした。
さして宇野本の幕切れは
「恋の手本となりにけり」
近松は
「森の雫と散りにけり」
全く違う文言になっている。
この二人の心中は僕の中ではハッピーエンドとして究極の恋愛物語として描きたい。
だから最後は二人が最も望んでいた死ぬところをお見せしたい。
宗教的には自死がいけないことと説く場合がほとんどだと思うが、死は二人にとってこのさき生きていて引き裂かれていくことを思ったら一緒にいられることに最大級の喜びを感じる。自死を推奨する意味ではなく一つの愛情の姿としてここまでの表現もあるという納得感をお客様に感じて欲しい。
ロンドン公演の曽根崎心中で私は父と兄の舞台を客席で見ていて、カーテンコールは起こるがスタンディングオベーションが起こらないことをロンドンの友人に尋ねたら、"死なないからだよ"と即答だった。芝居が途中だと。
そう父の1400回以上務めた曽根崎心中の"お初"は手を合わせて徳兵衛に向いて殺してというポーズのまま幕が降りる。
この時に僕は死のうと確信したんです。文楽でも映画や新劇でも最後死んでいます。
これは宇野先生の美学だったのでしょうか?
近松では「森の雫と散りにけり」ですから散りにけり
死ぬほうが妥当と考えられます。
宇野先生は死んでしまうことに納得感を得ていなかったのでしょうか。
近松は死んでいくことに納得感を持っているように思えます。
大詰めの道行は笑み浮かべるような心持ち。ここまで二人で来れて誰にも邪魔されない二人の世界に来た喜びのようなことを表現したいと思っています。

皆様はどう感じるのだろう。

そんなようなことを含め12月の南座顔見世の10時30分開演の一部で追善狂言として「曽根崎心中」のお初を務めることの報告を仏前に改めてすると、
時間の流れは止まらないんだということを痛感する。

父が誰にも譲りたくなかった1400回以上務めた役を一周忌に務めることは巡り合わせとしか言いようがない。もう一度父の前で演じたい気持ちもあったがその機会はもうありえない。

11日に赤坂歌舞伎の初日が開いたばかりだけれど、あっという間に「曽根崎心中」に初日を迎えているような気がする。

コロナで生活が一変してあれもこれも出来なくなり時間が不用意に過ぎているように感じ、それをコロナのせいにしてはいけない事は十分わかっているのだけれど、現実その影響は生活を一変させてしまった。
翻弄はされたくはない。ワクチンも国産ができるまでは控えておこうと思っていたけれど、ワクチンパスボートみたいな話が出てきたのでマイナンバーカード作成ととワクチン2回は済ませてしまった。

一周忌と表題をつけたのにかけ離れた内容になってしまったけれど
今の心境です。

曽根崎心中のお初は、父と私と壱太郎しか努めいないのでご覧になる方も比較対象が少ないので私の新しい"お初"を多くの方に見て頂きたい。

それが一周忌の供養になればと。

1931年生まれの2002年の父です。

撮影:篠山紀信

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「偲ぶ会御礼」

2021年10月29日

昨日オークラ東京の平安の間において昨年11月12日に永眠いたしました父坂田藤十郎を偲ぶ会を催させて頂き多くの方にご参会賜り心から御礼申し上げます。

華やかな祭壇そして篠山紀信さんの2.5mの特大パネルをはじめ多くの皆様にご協力頂いた数々の写真に彩られ華やかな会になりました。長年スターの座に居た父を送るにふさわしい会を皆様のご協力のもと開催でき家族として喜んでおります。
コロナの影響で約一年皆様の前でご報告ができていませんでしたが、葬儀という形よりこの偲ぶ会という形式の方が父には似合っていたのかもしれません。生涯運勢の強かった父らしいなと思ったりもしていました。
読経とお焼香の香りがちこめる静まり返った葬儀ではなく、参会の多くの皆様と母は言葉をかわし直接感謝を伝えられたのも不幸中の幸いでした。
改めてお運び下さった皆々様に御礼申し上げます。
ありがとうございました。

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そして会場入り口の曽根崎心中のパネルです。

12月京都南座顔見世興行において追善狂言として曽根崎心中のお初を務めることとなりました。父が1400回以上務めた最大の当たり役をまさにこのパネルの役を勤める事となり、やっとこの時が来たなと言うのが本音です。
私も過去2回勤めていますが、父がずっと離さない役でしたので、私自身は継承する意欲はあったのですが、もう演じることはないかな、甥の壱太郎に譲ろうかななどとも思うことは正直ありました。しかし、父の死という現実の中、役を継承することとなり、新たに私の曽根崎のお初を見たいと思って頂ける舞台を創らなくては伝統は守られません。歌舞伎役者をやっていてもっとも大切な局面を迎え、顔見世の初日が扇雀襲名の初日よりも重大になったと痛感しています。

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撮影:小林正明

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「納骨」

2021年10月29日

本日鎌倉霊園で父の納骨を致しました。
昨年11月12日に永眠し約一年自宅でこの時を待っていました。
コロナという非常事態で例を見ない長居を自宅でしてしまいましたが、やっと本人も落ち着いたと思います。

快晴の天気に恵まれ霊園からは滅多に見られない富士山が、澄んだ空気の向こうにくっきり現れ納骨という儀式にも関わらず、なぜか清々しい気持ちになり華やかだった父の人生を象徴しているようでした。

家族と一門に見守ら新たな安住の地に収まり、ありがとうの声が聞こえてくるようです。
本音はまだ入れんといて〜だと思いますが時の流れは戻らず止まらないものです。
いづれ止まってしまう自分の時間を大切に過ごさなければと改めて感じる納骨でした。

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「坂田藤十郎 偲ぶ会 10月28日(木)13時〜15時」

2021年10月26日

坂田藤十郎 偲ぶ会

令和3年10月28日(木)13時〜15時
オークラ東京プレステージタワー1階 平安の間

東京都港区虎ノ門2-10-4
TEL03-3582-0111

昨年令和2年11月12日に亡くなりました父坂田藤十郎を偲ぶ会をとり行います。
コロナ禍により密葬のみとり行い納骨を済ます事もできず月日が過ぎてしまいました。
ようやく緊急事態宣言が全国的に解除されたことを受け、オークラ東京様のご協力の中
父を偲んで頂く会を、一周忌目前に開催させていただく事となりました。
広く多くの皆さまに献花して頂ければ父も喜ぶ事と思います。
限られた時間ではございますが父の舞台姿を偲んでいただきたく、皆様のご来場をお待ちしております。
平服、マスク着用にてお運び下さい。
マスク無しでのご来場は、時節柄お断り申し上げますので予めご了承下さい。

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「またしてもゴルフでビッグニュース」

2021年6月 7日

もちろん世界にはスポーツ以外にも大切なNEWSは沢山あります。
スポーツの中でも山県選手の100mの日本新記録更新や、内村選手の事、大阪なおみ選手の事、大谷選手の快進撃etc

でも笹生優花選手の全米女子オープン優勝はゴルフをやっていた私のにとってはビッグニュースに間違いありません。松山英樹選手に続いての快挙は心から感動しました。

中継中は笹生選手の横にはフィリピンの国旗が掲載されオリンピックもフィリピン代表で出場と報道されていますが、国籍よりも彼女のプレイは見てる人々に感動を与えてくれたことを第一に素直に喜びたいと思う。
周囲の人の支えがあったから優勝できたとインタビューで話していましたが、ご本人の口からその言葉出るということは本当にご家族やスタッフの支えは大きかったと思いますが、プレーをして戦ったのは彼女自身です。何よりも本人の努力の結果がメジャー制覇につながったのは明白だと思います。見ていた全ての人に大きな大きな勇気を与えてくれたのは間違いない。スポーツの感動をまた目の当たりにした。心からおめでとうございます。
今日は歌舞伎界に新しくできた休演日で、ゴルフネットワークで録画したものを改めてじっくり見直しました。
スポーツの感動は筋書きのないドラマですから心に響きます。一緒に応援し(プレーオフが旗岡選手との戦いとなり非常に複雑な気持ちにはなりましたが)結果を共有する喜び。
自分自身を鍛え、特に個人スポーツは孤独に耐え、戦う姿は美しい。

スポーツすなわち勝負には勝敗がついてきます。敬意を持って勝者も敗者も迎えることが見る者の喜びであり、誇りであるべきでしょう。

プレーオフを闘った2人に最大の拍手を送ります。

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「秀太郎兄さん」

2021年5月28日

歌舞伎では親戚でなくとも先輩のことを叔父さん、兄さんと呼ぶ慣習がある。
相手によつて親しみを込めて言う場合と、敬意を持って言う場合との違いがあるが秀太郎のお兄さんは私にとっては両方だった。
歌舞伎に関する知識はまさに国宝であり敬意を持ってお兄さんと呼ばせて頂いていた。
特に上方の歌舞伎を熟知してらっしゃり、江戸との違いも細かく記憶してらっしやった。
教えて下さる時も、これはこうだからこうしなさいではなく、ご自身のご存知のことを伝授して下さり、やりよかったらそうしなさいと言った教え方をして下さった。無論そこには先輩の息子ということもあり少し遠慮がちにおっしゃることもお兄さんのお人柄だったと思う。

3年前の3月歌舞伎座の「国性爺合戦」でご一緒した時に「ひろちゃん(私の本名)しんどいのよ息が」とおっしゃってらしたけれどもしっかり母渚を縄で縛られながら務められたお姿が目に浮かんで来ます。
いつも笑顔でいらして長男の虎之介のことも気にかけて下さっていてお人柄に憧れていました。

封印切のおえんで私が梅川でご一緒した時も舞台上でおえんさんの梅川に対する優しさがご自身の優しさにも被って、忠兵衛を務めていてもお兄さんのおえんさんの優しさが悲劇を浮き立たせて下さいました。
思い出はつきませんが、去年の顔見世の千穐楽に舞台にお出になられた時にご挨拶に行きたかったのですが、コロナで楽屋の行き来が禁止されお目にかかれなかったのが心残りでなりません。

愛ちゃん(愛之助さん)を養子に迎えられて、ご自身の上方歌舞伎への愛情を継承する役者さんを作られたことは大きな功績の一つだったのではないでしょうか。

今までの多くの教えに感謝し心よりご冥福をお祈りし哀悼の意を捧げます。

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