中村扇雀の公式ブログ

「プライベート」記事一覧

「練習ハ不可能ヲ可能ニス」

2023年8月24日

「練習ハ不可能ヲ可能ニス」
慶應義塾體育會のモットーです。見事に体現してくれました。
"エンジョイベースボール"を掲げて昨日全国制覇した母校慶応高校の皆さん心からおめでとう。
そして参加した全国の野球部の皆さん人生の中で最高の夏を過ごせたことを誇りに持ってください!

35年前に生徒会長を務めた母校が、高校野球全国制覇の偉業を達成した事は感動や感激という言葉では表現出来ないほどの歓喜です。
慶應大学では體育會ゴルフ部に所属して4年間学ラン通学でしたので體育會の厳しさは体が覚えています。それを乗り越えた先の結果は人生最高の経験となります。

中継を観ていて慶應の応援がひっきりなしの大ボリュームでだいぶ批判を浴びていたようです。仙台育英はやりにくかった事と思いますが、アウェイの試合は国際試合ではよくあることなのでそれも運命、乗り越えてほしいと思います。慶応の応援を誉めることはしませんが僕も球場にいたら声の限り声援を送っていたと思います。母校愛とはそんなものです。

スポーツには勝ち負けは必ずついてくるものです。勝者と敗者に優劣はつきません。
運命的なことだと思っています。その運命を受け入れて成長して行くのではないでしょうか。

練習ハ不可能ヲ可能ニス

かつて慶應義塾の塾長だった小泉信三先生のことばです。
スポーツに限らず人生の教訓として大事にしてる言葉です。

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「出身校の活躍!」

2023年8月17日

夏の甲子園高校野球で出身校・慶應義塾高等学校がベスト8に進出!

在校時第30代生徒会長を務めた出身校の活躍嬉しいの一言です。
勝って塾歌が歌舞伎座の楽屋のTVから流れた時は思わず口ずさみました。

今月の歌舞伎座のパンフレットの役者紹介の欄では質問形式になっていて、この夏暑くなる事はと言う質問に「母校の応援」と答えていましたが、まさにその通りになっいます。

この勢いで頂点を目指して下さい。熱く応援しています!

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「上岡龍太郎さん」

2023年6月 4日

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右は顔が翳ってますが掛布さんです。

上岡龍太郎さんの訃報が入ってきました。
笑福亭鶴瓶さんや勘三郎さんと共によくご一緒させて頂き色々なことをご教授頂きました。
僕がマラソンを走ったのも上岡マラソンに出てみたいという気持ちからでした。
引退された後も大阪の劇場にお忍びでいらして決して楽屋とかは顔出しなさいませんでした。後から人伝に感想を言って下さったりしましたが、引退後はご本人は食事の誘いとかは断られお目にかかることはありませんでした。
そんな中5年前に関西テレビの方から上岡さんと回りましょうよとゴルフのお誘いがあり、一にも二にもなくお願いしますとお返事しました。同伴に旧知の掛布さんもいらっしゃってそれはそれは楽しいラウンドでした。
久しぶりにお会いした上岡さんはかつてのままの雰囲気で飄々となさり賢者のままでした。
ホールインワンをなさった記念品を下さり、プレーの後は「良い冥土の土産ができました」
と冗談とも本気とも取れない言葉をおっしゃり「やめて下さいよ縁起でもない。どこかお悪いんですか」と言いますと「いえ別にそんな気持ちです」というようなことをおっしゃいました。しかしそのゴルフが本当に最後になってしまったこと寂しい限りです。
いつも、なるほどということを沢山教えて頂きました。
心よりご冥福をお祈りいたします。

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「11月12日父の三回忌」

2022年11月13日

6月末よりホームページが不正アクセスを受け閲覧できない状態が長く続いておりました。
ご不便をおかけしましたことをお詫び申し上げます。
それ以降ブログ更新をしていませんでしたが、父の三回忌を機に再開いたします。

その後7月松竹座・8月歌舞伎座・10月平成中村座公演と出演が続き今月も中村座で宮藤官九郎さんの新作を含めた3演目に出演しています。

コロナの影響を受けつつも代役を立てるなどの方法で公演が続きお客様もほぼ100%の状態でご来場して頂けるようになって、徐々に正常な状態に戻って来ていることが何よりも嬉しく、精神的に余裕が出始めている気がします。

さて、父が亡くなって丸2年三回忌を迎え日に日に思うことは父が目指してきた事を引き継がなくてはと言う思いが増していると言う事です。
昨年の12月に曽根崎心中のお初を努め、その責任や必要性を強く感じています。

平成中村座に出演していると、30年余り哲明(のりあき)さん(18代勘三郎さん)と芝居を作ってきた事が走馬燈のように思い出されますが、その全ての経験が今自分の舞台に出ているのだなと思うと感慨深いものがあります。ハエの逸話をご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、今月は何度も楽屋や舞台に姿を見せてます。

亡くなった父が姿を変えて目の前に現れたのは亀でした。今年の5月の休暇で何年振りかで父の好きだったハワイに家族で訪れた時、ワイキキの人が大勢泳いでる岸から20m程のところで突然私たち家族の目の前に体長70cmほど亀が海面に顔を出し私たち家族と目があったのです。全員が父を感じたのです。
言葉で説明しづらいのですが、父が亡くなる前日の夜に叔母の中村玉緒の枕元に父が現れ、叔母がすぐに私のところへ電話かけお兄さん大丈夫と会話をした翌日父が亡くなったのでしたが、人の脳はいろいろなものを感じているのではないでしょうか。それによって勇気づけられたり力が湧いたり。何か方向が見えるきっかけになったり。

会話では伝えてもらわなかった父、祖父、曽祖父そして先祖の思いを何か感じ取ってそれを体現して次に繋げていくことが今の最優先事項なんだなと、父の三回忌で改めて感じています。

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「坂東竹三郎さんご逝去」

2022年6月22日

竹三郎さんご逝去の連絡ありました。
父と同世代で今だに舞台で活躍していらした生き字引のような先輩でした。
来月松竹座公演にはお名前もあり久し振りにお会いできることを楽しみにしていました。

普段は「ひろ君」と私の本名で気軽に呼んで下さり、私の生まれる前の上方の先輩たちの話をよくして下さり色々とお教え頂いたのも嬉しい財産です。
虎之介の成長もとても喜んで下さり、一座していない時など、今月はどうしてるの?見にくるの?と、いつも気にして下さいました。
父、秀太郎さんそして竹三郎さんと上方の女方を失った損失は計り知れません。
ジャラジャラしたまとわりつくような上方独特の空気感というのは一朝一夕に身につくものではありません。残った私たちでその芸の継承をしっかりしていくことが先輩たちへの約束と思っています。

竹さん(生意気にもこう呼ばしていただいてました)の数々舞台姿を目に浮かべここに心からご冥福をお祈り致します。

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「祖父二世鴈治郎命日」

2022年4月13日

4月13日は私の祖父二世鴈治郎の命日です。
昭和58年亡くなりましたので39年目、年回忌として呼び方はないと思いますがあえて言えば40回忌に当たります。
私が大学を卒業したのが同じ昭和58年の3月なのでその年の5月南座で8歳から14年ぶりに舞台に立ってから39年の月日が流れたことに感慨より驚きです。

2月コクーン歌舞伎のことも、コロナに罹患した事、その後の事なども文章にすることなく時が過ぎてしまいました。

満席のコクーン歌舞伎の熱気はコロナ禍以前を思い出し役者として生きてきたことの喜びを久しぶりに感じた。最後の2日間チケットをを購入して頂いて下さった方にあまりにも遅ればせながらですが、お詫び申し上げます。申し訳ございませんでした。
この2年間何が、誰が、悪いわけでもなく、ただ現状を受け入れるしかなく、それに対応すべく色々な試みがネット上という新しい空間の中で行われ、新しい文化や流れが時代に即応して生まれてきていることの凄さを感じつつ、自分は傍観者になっていることに、何かしらの不安や焦燥感を抱きつつ時だけが過ぎている。
その間、父が亡くなり、秀太郎のお兄さんが亡くなり、上方歌舞伎をこの先継承していくことが生涯の目標の一つと思っている自分は今日、祖父の命日に「不忘初心」の気持ちを新たに書いてます。
コロナ禍以前の歌舞伎はどこに行くのだろうか。

先週靖国神社の薪能を拝見しに行き心の中の鬱憤が晴れる思いがして、この気持ちを決して忘れてはいけないと強く感じた。古典、伝統、文化、芸術、継承。敬愛する世阿弥の多くの言葉を頭に浮かべ、舞台を食い入るように見て、目の前の全てのことを感じることに集中する楽しさ、心地良さ。この感覚を演者として忘れないこと。
3月末に新橋演舞場でOSKの舞台を観た時も同じことを感じた。客席にいる楽しさ。しかしそれは演者や関係者全ての人が気持ちを一つにして命懸けで作るものでなくてはいけないのでしょう。このコロナ禍に多くの舞台や映画を見てきて歌舞伎を振り返る機会が自ずと増えてきた。
名優と言われた祖父は何を思い何を願い役者人生を歩んだのだろう。
本人に聞けないのだから残された書物を読むもよし、自分なりに空想するもよし。

今舞台に立てていることを改めてご先祖様に感謝を。そして「不忘初心」。

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「お詫び」

2022年1月17日

一昨年前から始まったコロナのパンデミックに長男虎之介が巻き込まれ、オミクロン株と診断され歌舞伎座を休演する事が余儀なくされました。
同居している私は濃厚接触者判定となり、共に休演の対象となってしまい自宅待機の指示を受けることとなり、多くの方にご迷惑をかける事態となり増したことをこの場を借りて、心よりお詫び申し上げます。

急遽代役に立ってくださった歌女之丞さん、京蔵さん、國久さんに御礼申し上げます。

また、同じく濃厚接触者に該当する可能性があり中村七之助、中村橋之助、中村 福之助、中村歌之助がのみなさんが休演の対象となってしまい楽しみにしていらしたファンの皆様にご迷惑をおかけしましたことを重ねてお詫び申し上げます。

幸いにも虎之介の症状は無く、保健所の指導の元自宅隔離をいたしております。
日にち経過を見て改めてPCR陰性を確認してからの復帰となりますのでその時には改めてご報告いたします。
感染者14日間濃厚接触者10日間の規則に乗っ取り復帰する予定です。

2月コクーン歌舞伎の脚本が8日に出来上がり10日に初めて皆で集まり本読み第一回目を行い、翌11日は歌舞伎座の休演日と重なり休みを挟んで12日に第二回目の読み合わせをして13日から立ち稽古という矢先の出来事で、2月のコクーン歌舞伎の準備にも影響が出てしまい、申し訳なく思っています。関係者の方々にもお詫び申し上げます。
私自身は全く体調不良がなく陰性判断でワクチンも2度打っていますが、待機しなくてはいけない現状が残念でなりません。

マスコミ発表から私自身のご報告が遅れましたことも重ねてお詫びいたします。

皆様もオミクロン株は感染力が強いようですので手洗い、うがい、消毒、マスクのご励行をお勧め致します。

一日も早い収束を願っていますがゼロになることは現実的ではないと思われますので少なくとも2類感染症から5類感染症への一日も早い変更を政府が決断することを願うばかりです。

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「61歳」

2021年12月20日

12月19日で満61歳を迎えました。
還暦からの一年はあっという間でした。
父の死後一年でやっと父を納骨できたことが節目となり気持ちも新たに歌舞伎に接しているような気がします。

恒例の皆が作ってくれる楽屋のデコレーションが何とも幸せな気持ちになります。

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恒例の甥の壱太郎からの演目に因んだケーキはいつもながら工夫を凝らしてくれてありがとう。お初の除幕の衣装の色と柄を模して簪が挿してありました。

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末富さんから頂くの和風ケーキ

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そして大好きなキルフェボンのケーキは虎之介から

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気持ちも新たにあと4日間のお初に臨みます。

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「12月5日」

2021年12月 5日

2012年12月5日
哲明(のりあき)さんのの命日です。
18代目中村勘三郎さんです。

もう9年経ちました。
隆行(七之助さんの本名)に曽根崎心中やらしたいんだよと言っていたのを思い出しながら
今日のお初を努めてきました。

哲明さんと曽根崎もやってみたかったですね。
あそこはこうここはこうとか思いを巡らしてみました。

会いたくなりますね今だに。

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「ご冥福をお祈りします」

2021年12月 2日

吉右衛門のお兄さんとは1986年NHK「武蔵坊弁慶」でご一緒させて頂いた懐かしい思い出がすぐに思い起こされます。TVの「鬼平犯科帳」でもゲストで一度呼んでいただいた事もありました。撮影の合間には必ずスケッチブックを出して絵を描いてらっしやったのが印象的でした。1983年に大学を卒業して舞台に戻ってすぐは忠臣蔵の四段目の残りの諸士や河内山の近習や多く勉強させて頂きましたし、同じB型で色々お話して頂きお兄さんのレベルの高いジョークについていくのに必死でした。その後当時の勘九郎のお兄さんとご一緒する機会が増えてからは播磨屋のお兄さんと舞台でご一緒する機会が減り残念でした。
昨年中村吉右衛門配信特別公演『須磨浦』は映像でしたが画面の前で感動したのをよく覚えています。お兄さんの藝に対する思いが全て詰まっていたように思えました。
偉大な先輩のご逝去は残された後輩たちに大きな責任がかかってきます。今月は父の追善をやらせていただくことでしっかり責任を果たしていきたいと思っています。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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