中村扇雀の公式ブログ

2012年2月記事一覧

「東京マラソン号砲」

2012年2月26日

本日第六回東京マラソンが開催です。

第一回と第四回の二大会に出場した日のことを昨日のように思い出します。

今年も舞台の千秋楽に重ならなければエントリーしたかったのですが大事な勘九郎襲名興行ですので断念しました。

何故マラソンを走るかと聞かれても答えに困るのですが、人生で一度はチャレンジしたいとかねがね思っていたのですが、たまたま第一回東京マラソンの時にスケジュールができたこととエントリーができたことが重なり出場しました。
マラソンは自分だけの世界でほとんど自己満足の為だと思います。健康の為には少しハード過ぎますのでお薦めするものではありません。

日頃はジムで5㎞を走っているのですが、マラソンの前は二ヶ月くらい前から二時間走とか20㎞走を何度かやります。
第一回の時はペースがわからず30㎞で3時間切っていたのですが、そこでバッタリ足が動かなくなり残りの約10㎞を1時間40 分かかってしまいました。
その反省から一昨年の第四回では途中のエネルギー補給とイーブンペースを心がけタイムを縮めることが出来ました。一度も止まることなく完走できたことに満足しています。

マラソンを走っている間は1㎞ごとのタイムを気にし続けます。その積み重ねが42回ということです。フィニッシュの時は満足感より二度とやめようと思うのですが、翌日には次のことを考える自分がいます。何なのでしょうか?

これは夢なのですが、自分が歌舞伎公演に訪れたニューヨーク・ボストン・ロンドン・ベルリンのシティーマラソンにそれぞれ一度時間が許せば参加してみたいと思っています。
それぞれが世界五大シティーマラソンに数えられているので是非と思っています。
公演に訪れると朝その土地を走っているのですが死ぬまでに一つ一つやってみたいですね。大阪マラソンも一度参加したいなと思っています。

舞台に年間平均10ヶ月出ていますので中々難しいのですが、プライベートの夢なんです。

第一回は本名で出場しました。

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第四回は中村扇雀で参加しました。

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今年も友人が沢山走っています。

皆さんご健闘を祈りします。

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「2月新橋演舞場プログラム」

2012年2月25日

今月の六代目中村勘九郎襲名披露公演舞台写真入りプログラムに私のサインを入れさせて頂きます。皆様のお名前もお入れします。

ご希望の方はお名前ご住所を明記のうえ下記のアドレスに部数を添えてお申し込み下さい。
入金方法を折り返しお知らせします。入金確認後に郵送させて頂きます。

ご応募お待ちしています。

一部¥2,000(送料・消費税共込)
suzumenokai@senjaku.com

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「ご冥福をお祈り申し上げます」

2012年2月24日

京屋の伯父さんが亡くなられました。

扇雀襲名の歌舞伎座公演で吉野川の雛鳥をさせて頂いた時に定高で出演して下さいました。歌右衛門の叔父様が指導してくださっていたので叔父様は細かい指導はなさいませんでしたが、舞台上で親子の心が通ってたことに感銘いたしました。肌で役作りを教えてくださっていた気が致します。
その襲名の時に故松竹永山会長かが雀右衛門さんの赤姫を良く見て勉強しなさいとのお言葉を頂きました。手本にしなさいとの進言でした。

歌右衛門の叔父様、梅幸の叔父様、芝翫の叔父様そして京屋の叔父様さらに父という女方の教科書ともなるべき先輩方が沢山いらしたことは私にとっての財産でした。

ついに父一人となってしまいました。

各々の役で先輩方の教えを活かすよう努力していますが、直接自分の目と耳で触れられなくなってしまいました。脳裏の中から引き出しを紐解く作業が続きます。

先輩の舞台を見ること。このことから藝道は始まるのだと思いますが、その見るべき先輩の舞台が無くなっていく寂しさと責任感を感じます。

評論家の方はよく名優が亡くなられると一つの時代が終わったとおっしゃいますが、実際に歌舞伎を継承している私達はそんな事言っていられません。先祖や先輩から受け継いだものを次に繋げることこそ使命だと思っています。終わらせるわけには行かないのです。

今月の勘九郎襲名もその受け継ぐことの現れだと思います。伝統を受け継ぐことの大切さは歴史の中に生きている意識を持つことではないでしょうか。

日々歴史を作って生きているのです。

次の世代のために。

女方の一つの形を歴史に残された京屋の叔父様のご冥福を心からお祈り申し上げます。

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「兄・翫雀の誕生日」

2012年2月 7日

すいません、昨日の6日だったのですが兄の誕生日です。
おめでとうございます。
最近は同じ舞台に立つ機会が減っているのが残念です。
上方歌舞伎継承の為に頑張りましょう。

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「土佐ノ海関断髪式」

2012年2月 5日

昨日両国国技館において土佐ノ海敏生関の立川敏夫親方襲名披露断髪式が執り行われました。

以前より友達の土佐に鋏を入れてきました。はじめての経験ですが神聖な儀式に参加でき光栄でした。
関取の証である大銀杏に鋏を入れることは彼の人生の転機に関わったことで大きな責任と人と人との繋がりの大事さを肌で感じる素晴らしい機会でした。

折しも演舞場では勘九郎さんの新たな門出お祝いし二つの慶事が重なり嬉しい限りです。

土佐関いまは今は立川親方ですが、彼はあの巨体でお酒が全くダメでしたので、現役引退後はその辺りを人生の先輩として指導していきたいと思っています(笑)。

まずはお疲れ様でした。そしておめでとうございます。

携帯の写真ですので画像は荒くなってます。ご容赦下さい。

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「祝六代目勘九郎襲名」

2012年2月 3日

新橋演舞場で六代目勘九郎襲名興行が幕を開けました。

口上の席に列座させて頂いてますが立派な披露でした。
万雷の拍手の中、新勘九郎さんが決意を述べ、弟の七之助さんと仲良く努力していくとの言葉が印象的でした。自分一人の襲名となり弟を気遣うかれの優しさがにじみ出ていました。

新勘九郎さんとはこれからも多くの舞台で一緒になると思いますが、共に藝道に精進していこうと私自身も初心に帰る思いでした。

心よりお慶び申し上げます。

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「初代中村鴈治郎 祥月命日」

2012年2月 1日

毎年同じタイトルになってしまいますが、昭和10年2月1日が曽祖父初代鴈治郎の命日です。

父の家の仏壇にお参りをしますが、自分自身が同じ職業に付いていることを感謝する日です。今の役者という仕事が好きであることを感謝する日でもあります。

明日は六代目勘九郎襲名披露の初日です。子供の頃からずっと接してきて、役者という仕事を心から愛している新勘九郎さんは、私と同じく彼も歌舞伎役者の家系に生まれたことが歌舞伎役者をやっている理由のほとんどでしょう。そして夢中になっています。

物事に集中する時間を作ることが人生を楽しむ一つの方法だと思います。
曽祖父は歴史に名を残す名優でした。初代さんも夢中になって役者という人生を走っていったことでしょう。

曽祖父に関する書物は随分読みましたがまた読み返してみます。
新しい何かが見つかるかも知れません。

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