中村扇雀の公式ブログ

2019年8月記事一覧

「納涼歌舞伎千穐楽」

2019年8月27日

9日からの今年の納涼歌舞伎も本日27日に千穐楽を迎えました。

今年は1部だけのの出演でしたが、19日間連日大勢のお客様にお越し頂きありがとうございました。

今年の納涼歌舞伎は3部それぞれの趣が違いお客様も個々の好みで楽しんで頂けたと思います。
「伽羅先代萩」の栄御前を初役で努めましたがこの演目は歌舞伎の代表的な演目の一つにも必ずあげられる一幕ですので、若手が初役に挑戦する納涼歌舞伎での上演は意義のある事だと思います。亡くなった勘三郎のお兄さんと三津五郎のお兄さんの思いが詰まった公演ですので子息の七之助さん孫の勘太郎君長三郎君そしてこちらも子息の巳之助さんらがそして幸四郎さんも活躍する「伽羅先代萩」が将来の歌舞伎の為に大事な一幕だったと思っています。
この演目は前の幕「竹の間」から上演すると政岡と八汐そして沖の井の関係がより鮮明になるのですが上演時間の都合上カットになっているのが残念です。是非ネットでストーリーだけでも読んでいただきたいと思います。
「竹の間」の政岡と八汐、今回の「御殿の間」の八汐はかつて努めていますが、好きな演目でもあります。「竹の間」の八汐は大変おもしろい役どころで、かつて亡くなった竹本住大夫のお師匠さんに稽古をして頂きました。文楽と歌舞伎の台詞は違うところがあるのですが、その歌舞伎の台詞の部分も語ってくださり、貴重な経験をした思い出深い演目です。
いつか通しで政岡か八汐をそれぞれ演じたいと願っています。同時に両方はできませんので、、、
栄御前のお役は自分に回ってくるとは思っていませんでしたので新鮮な気持ちで臨みました。先月の松竹座でこのお役の経験がおありの秀太郎のお兄さんにお話を伺い役作りを致しました。千松が喉元を突かれ、あーと声を出したのをお扇子で顔を隠して可哀想で見られないとう思いで顔を右に背けて、その角度から政岡の様子を伺います。
この役には身分や格を要求される役ですので、悪役側ですが前面に出すより肚(はら)の中に
ぐっと持つようにします。仲間の八汐には千松がお菓子を食べて足を踏み出した時にそれとなく目で合図を出します。極力分からないようにです。
政岡に悪事を漏らす時は安心と喜びに満ちています。そこで全てを出すと花道も気持ちよく引っ込めます。しかしあくまでも位取りを大事に努めました。

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「百物語」の雪女郎はかつて金丸座で努めましたが、今回は照明を落とし、見えづらいのですが照明で雪が降っているように作ってもらいました。全体をいつもより暗くしたのは、やはり百物語ですので妖怪や物の怪の雰囲気を強調したかったからです。ぼーとした闇の中にしっとり浮かぶ雪女郎にしたいと思っての演出です。
ただ一つお詫びしなくてはいけないのはチラシやポスターの写真と鬘が違う事です。前回公演の舞台写真からポスターを作ったのですが、今回は前述の通り演出を変えたのと10月に「廓三番叟」で同じ歌舞伎座に出演依頼をされましたので、同じ鬘になってしまう為に今回は鬘を変えました。この場を借りてお詫び申し上げます。

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2部の弥次喜多は今回が最後と猿之助さんが記者会見の時に言ってましたので来年以降はまた新しい演目が生まれることでしょう。ご期待下さい。
3部の玉三郎のお兄さんの「新版雪之丞変化」はその斬新さに私も驚きました。
お兄さんはこれまでの数多の経験の中から納涼歌舞伎だからできる演出を新たに創造されのだと思います。今回脚本と演出補にも名を連ねている日下部太郎こと山崎咲十郎さんのアイデアも存分に活かされています。
この演目も、8月の納涼歌舞伎が産んだ一つの財産として残っていくことでしょう。

4日後には公文協の巡業の初日を迎えます。
こちらも初役の演目ですが、父が得意としていた演目ですのでしっかりと継承していきたいと思っています。
お近くへ行きましたら是非ご来場下さい。
お待ちしています!

暑さが厳しい8月でしてが今年も納涼歌舞伎ご来場下さリ心から御礼申し上げます。


写真:歌舞伎座

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「納涼歌舞伎舞台写真入り番付」

2019年8月24日

今月の舞台写真掲載のプログラムが23日から劇場で販売が始まりましので、私がお名前を書いてサインしたものをご希望の方にご郵送致します。

一部¥1,600(送料・消費税込み)

尚、劇場受け渡しご希望の方は引換希望とお申込みの際にお知らせ頂ければ定価¥1.300
にてお渡し致します。

ご希望の方はお名前ご住所を明記のうえ
下記のアドレスに部数を添えてお申し込み下さい。
入金方法を折り返しお知らせします。入金確認後に郵送させて頂きます。

ご応募お待ちしています。
締め切りは27日千穐楽正午(12時)とさせて頂きます。

suzumenokai@senjaku.com


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「「エリザベート」」

2019年8月 2日

7月30日帝国劇場に旧知の花總まりさんの主演舞台「エリザベート」を観劇。
久し振りに自然発生のスタンディングオベーションに感動をおぼえました。
まりさんのエリザベートとしての存在は素晴らしかった。
物語の進行に連れ観客が彼女の人生を共に歩んで共感して引き込まれていく感覚は、観客の一人として素晴らしい瞬間を味わいました。
歌唱、台詞、心がバランス良くそれに衣裳がとても似合っている事も素晴らしさを倍増していたと思います。魂のこもった舞台ありがとうございました。
また涼風真世さんの存在感も素晴らしかった。山崎育三郎さんの狂言回しも作品の面白さを増していました。

一路真輝さんの宝塚退団の時に「エリザベート」を観て以来の同作品ですから随分時間が経っていますが一路さんの退団は辞めてしまうという感情と彼女の素晴らしさが掛け合わされた感動がありましたが、今回は花總さんの魅力全開で作品の素晴らしさを堪能しました。

観客席に座る楽しさや期待感喜びを味合うことで、演劇の素晴らしさを肌で感じ同じ演劇人として刺激を貰い劇場を後にしました。
映画も大好きなのですが、生の舞台良いですね!!

終演後まりさんの楽屋にて

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「関西で歌舞伎を愛する会40周年記念公演」

2019年8月 1日

松竹座の7月公演「関西で歌舞伎を愛する会40周年記念公演」
7月27日千穐楽を迎えました。連日大入り満員の盛況の公演となりご来場くださった皆様に改めて御礼申し上げます。

昭和58年の第4回公演から出演を重ねてこの興行では本当に多くの役を務めました。
昭和58年は私が3月に大学を卒業した年22歳で、前名の中村浩太郎での出演で現行の7月ではなく6月公演でした。愛するではなく関西歌舞伎を育てる会という名前の公演で、なくなってしまった道頓堀中座での公演です。その前月の5月南座公演で8歳以来14年振りに舞台に立った翌月でした。

22歳にはなっていましたが、10代で歌舞伎に出ていなかった私は前月が2度目の初舞台とも言うべき公演でしたが、その折に初日の後父に「目の焦点が合ってなかったぞ」と言われた事は今だに忘れません。
その翌月の公演ですから成長している訳もなく、同い年の当時児太郎時代の現福助さんと5歳年下の橋之助時代の現芝翫さんと初めて一座して歌舞伎の初歩的なことを随分と教えてもらった懐しい想い出があります。
父は子供の頃からあまり会話をする機会がなく歌舞伎の話も実は殆どした事がなく2人の話は学校の授業のように思えていたのを今でも思い出します。

その後亡くなった勘三郎のお兄さんの勘九郎時代昭和62年の育てる会の公演で長谷川伸作「檻」と言う演目で初めて女房役に使って頂いたのもこの公演でした。毎晩、哲明(のりあき)さん(お兄さんの本名)と食事に出かけありとあらゆる話をしました。その翌年の育てる会の公演「東海道四谷怪談」高麗屋(現白鸚)のお兄さんの民谷伊右衛門・哲明(のりあき)さんのお岩さまで関西のお客様の魂に火が付き連日の大入りで、2階の通路の階段にもお客様に入って頂いたこともあったと記憶しています。お岩様の妹お袖と小平女房お花の二役で出演させて頂きました。本当に心に残る公演でした。コクーン歌舞伎の四谷怪談の出発点でした。お兄さんとは約30年間ご一緒して色んな舞台を作り、その素晴らしい数々の経験が今の自分を作り上げています。その出発点もこの夏芝居だったんです。
この公演はそんな想い出の詰まった公演です。

今回は私の出演演目は
昼の序幕に松竹新喜劇から初めて歌舞伎に移した「色気噺お伊勢帰り」
夜の中幕「弥栄芝居賑」最後の「上州土産百両首」の3作品でした。

「色気噺お伊勢帰り」は藤山直美さんの亡父藤山寛美先生の作品を初めて歌舞伎として上演する事となりました。松竹のプロデューサーの方は喜劇を序幕に持って来ることを強く推してる中でのこの演目となりました。私自身は寛美先生の映像を拝見してかなり不安になりましたが、、、
あまりにも凄すぎてご本人以外には無理と思いました。いわゆる漫才のボケとツッコミなのですがそのボケ具合は文章では表せません。その時の相手役が曽我廼家文童さんなのですが、寛美先生の間についていかれてること自体凄いことです。松竹のDVDにあるはずなのですが機会があれば見て頂きたいです。その作品を歌舞伎役者が出来るかは勿論不安でした。
まして今回はツッコミの役どころが芝翫さんですので大阪弁ではなく江戸弁に台詞を直すと聞き、大阪弁と江戸弁の漫才が成立するのかも不安でした。
私の役どころはご覧頂いた方は勿論ご存知ですが、兄の扮する左官の喜六の女房お安と言う役で、喜劇としての間の取り方に極力気を使いました。寛美先生(生前のご本人を存じ上げているのですがつい先生とお呼びしてしまいます。)の舞台稽古を一度たまたま拝見したことがあるのですが、初日の前日にもかかわらず舞台上で役者の皆さんに口立てで台詞を付けてらしたのには驚きでした。亡くなった勘三郎のお兄さんも休みの時にはよく寛美先生の映像を見ていました。
話は逸れましたが、兄の鴈治郎はおかしみを得意としていますので自分なりの喜六を作ってくれると思っていたので、私はかけあい漫才になるように緩急と間に集中して作りました。
世話物の女房はいくつもやらして頂いているので手には入っているつもりです。
大阪のお客様は特にこういった喜劇は好まれると思います。
ただ、上方歌舞伎の中には漫才の原点のような部分、忠兵衛と八右衛門(封印切)や治兵衛と孫右衛門(河庄)などのように多々有りますのでこれも歌舞伎の引出しからできると言えば出来るのですが、掛け合いや間合いが大事になってきます。そこを大事に役を作っていきました。好評を頂いたようなのでもし再演がある時には大工の清八に出て大阪弁どうしの掛け合いを兄とやってみたいななどと千穐楽には思っていました。
猿弥さんのお鹿、梅枝さんのお紺好きでした。猿弥さんには僕のリクエストでドタバタのギャグをやって貰ったのですが、毎日舞台の袖で観客になってみて大笑いしてました!面白かった!

女房お安

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「弥栄芝居賑」は字の通り賑やかな一幕でしたが最後の口上の時に普段の口上では手をついて正座しているのですが、立ったままお客様の方を向いているのが目線やら立ち方やら思いの外悩みました。カーテンコールは役でとも言いますのが、この場合素の自分で挨拶しますが姿は男伊達ですから待っている間は役で立つようにしていました。

男伊達 雁金文七

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最後の「上州土産百両首」隼の勘次
これは今迄でしたら回って来る役ではなかったと思います。
立役が増えている今ですので回ってきたのだと思います。
出番は少ないのですが、存在感と空気感だけ気にしていました。
この演目は人情噺ですが芝翫さんの演じた正太郎はぜひいずれ演じてみたいと思って毎日見ていました。愛情と友情のオーバーラップするところがありますが友情を全面に出して作ってみたいですね。因みに私は自分の役を今回は亡くなった島田正吾先生をイメージしたのですがほど遠かったと思います。

隼の勘次

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写真:松竹座

次回の松竹座出演予定は来年のお正月です。
もっと関西で歌舞伎の舞台に立ちたい!

今月もありがとうございました。

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