中村扇雀の公式ブログ

「関西で歌舞伎を愛する会40周年記念公演」

2019年8月 1日

松竹座の7月公演「関西で歌舞伎を愛する会40周年記念公演」
7月27日千穐楽を迎えました。連日大入り満員の盛況の公演となりご来場くださった皆様に改めて御礼申し上げます。

昭和58年の第4回公演から出演を重ねてこの興行では本当に多くの役を務めました。
昭和58年は私が3月に大学を卒業した年22歳で、前名の中村浩太郎での出演で現行の7月ではなく6月公演でした。愛するではなく関西歌舞伎を育てる会という名前の公演で、なくなってしまった道頓堀中座での公演です。その前月の5月南座公演で8歳以来14年振りに舞台に立った翌月でした。

22歳にはなっていましたが、10代で歌舞伎に出ていなかった私は前月が2度目の初舞台とも言うべき公演でしたが、その折に初日の後父に「目の焦点が合ってなかったぞ」と言われた事は今だに忘れません。
その翌月の公演ですから成長している訳もなく、同い年の当時児太郎時代の現福助さんと5歳年下の橋之助時代の現芝翫さんと初めて一座して歌舞伎の初歩的なことを随分と教えてもらった懐しい想い出があります。
父は子供の頃からあまり会話をする機会がなく歌舞伎の話も実は殆どした事がなく2人の話は学校の授業のように思えていたのを今でも思い出します。

その後亡くなった勘三郎のお兄さんの勘九郎時代昭和62年の育てる会の公演で長谷川伸作「檻」と言う演目で初めて女房役に使って頂いたのもこの公演でした。毎晩、哲明(のりあき)さん(お兄さんの本名)と食事に出かけありとあらゆる話をしました。その翌年の育てる会の公演「東海道四谷怪談」高麗屋(現白鸚)のお兄さんの民谷伊右衛門・哲明(のりあき)さんのお岩さまで関西のお客様の魂に火が付き連日の大入りで、2階の通路の階段にもお客様に入って頂いたこともあったと記憶しています。お岩様の妹お袖と小平女房お花の二役で出演させて頂きました。本当に心に残る公演でした。コクーン歌舞伎の四谷怪談の出発点でした。お兄さんとは約30年間ご一緒して色んな舞台を作り、その素晴らしい数々の経験が今の自分を作り上げています。その出発点もこの夏芝居だったんです。
この公演はそんな想い出の詰まった公演です。

今回は私の出演演目は
昼の序幕に松竹新喜劇から初めて歌舞伎に移した「色気噺お伊勢帰り」
夜の中幕「弥栄芝居賑」最後の「上州土産百両首」の3作品でした。

「色気噺お伊勢帰り」は藤山直美さんの亡父藤山寛美先生の作品を初めて歌舞伎として上演する事となりました。松竹のプロデューサーの方は喜劇を序幕に持って来ることを強く推してる中でのこの演目となりました。私自身は寛美先生の映像を拝見してかなり不安になりましたが、、、
あまりにも凄すぎてご本人以外には無理と思いました。いわゆる漫才のボケとツッコミなのですがそのボケ具合は文章では表せません。その時の相手役が曽我廼家文童さんなのですが、寛美先生の間についていかれてること自体凄いことです。松竹のDVDにあるはずなのですが機会があれば見て頂きたいです。その作品を歌舞伎役者が出来るかは勿論不安でした。
まして今回はツッコミの役どころが芝翫さんですので大阪弁ではなく江戸弁に台詞を直すと聞き、大阪弁と江戸弁の漫才が成立するのかも不安でした。
私の役どころはご覧頂いた方は勿論ご存知ですが、兄の扮する左官の喜六の女房お安と言う役で、喜劇としての間の取り方に極力気を使いました。寛美先生(生前のご本人を存じ上げているのですがつい先生とお呼びしてしまいます。)の舞台稽古を一度たまたま拝見したことがあるのですが、初日の前日にもかかわらず舞台上で役者の皆さんに口立てで台詞を付けてらしたのには驚きでした。亡くなった勘三郎のお兄さんも休みの時にはよく寛美先生の映像を見ていました。
話は逸れましたが、兄の鴈治郎はおかしみを得意としていますので自分なりの喜六を作ってくれると思っていたので、私はかけあい漫才になるように緩急と間に集中して作りました。
世話物の女房はいくつもやらして頂いているので手には入っているつもりです。
大阪のお客様は特にこういった喜劇は好まれると思います。
ただ、上方歌舞伎の中には漫才の原点のような部分、忠兵衛と八右衛門(封印切)や治兵衛と孫右衛門(河庄)などのように多々有りますのでこれも歌舞伎の引出しからできると言えば出来るのですが、掛け合いや間合いが大事になってきます。そこを大事に役を作っていきました。好評を頂いたようなのでもし再演がある時には大工の清八に出て大阪弁どうしの掛け合いを兄とやってみたいななどと千穐楽には思っていました。
猿弥さんのお鹿、梅枝さんのお紺好きでした。猿弥さんには僕のリクエストでドタバタのギャグをやって貰ったのですが、毎日舞台の袖で観客になってみて大笑いしてました!面白かった!

女房お安

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「弥栄芝居賑」は字の通り賑やかな一幕でしたが最後の口上の時に普段の口上では手をついて正座しているのですが、立ったままお客様の方を向いているのが目線やら立ち方やら思いの外悩みました。カーテンコールは役でとも言いますのが、この場合素の自分で挨拶しますが姿は男伊達ですから待っている間は役で立つようにしていました。

男伊達 雁金文七

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最後の「上州土産百両首」隼の勘次
これは今迄でしたら回って来る役ではなかったと思います。
立役が増えている今ですので回ってきたのだと思います。
出番は少ないのですが、存在感と空気感だけ気にしていました。
この演目は人情噺ですが芝翫さんの演じた正太郎はぜひいずれ演じてみたいと思って毎日見ていました。愛情と友情のオーバーラップするところがありますが友情を全面に出して作ってみたいですね。因みに私は自分の役を今回は亡くなった島田正吾先生をイメージしたのですがほど遠かったと思います。

隼の勘次

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写真:松竹座

次回の松竹座出演予定は来年のお正月です。
もっと関西で歌舞伎の舞台に立ちたい!

今月もありがとうございました。

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