中村扇雀の公式ブログ

2012年12月記事一覧

「1月2日「こいつぁ春から〜初芝居生中継」」

2012年12月31日

NHK Eテレにて舞台生中継のお知らせです。

1月2日19時12分位〜20時15分位迄
私が義経役で出演の大阪松竹座初春大歌舞伎の「四の切」の舞台が生中継されます。

是非ご覧下さい。

http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2013-01-02&ch=31&eid=13340

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「大晦日」

2012年12月31日

フジTV系列
12月31日 18:00〜23:45

「アイアンシェフ・ドリームマッチ」生放送の審査員として出演します。
http://www.fujitv.co.jp/ironchef/index.html

脇屋友詞氏(中華)VSアメリカの最強鉄人森本正治氏(和)
このお二人の対決の審査員の一人として参加しますので是非ご覧下さい。

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「2013年卓上カレンダー」

2012年12月31日

2013年度卓上カレンダー(横16cm✕縦11cm)です

¥1,500(送料・消費税込)

ご希望の方はお名前ご住所を明記のうえ下記のアドレスに数を添えてお申し込み下さい。
入金方法を折り返しお知らせします。入金確認後に郵送させて頂きます。

ご応募お待ちしています。

suzumenokai@senjaku.com

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「「四の切」」

2012年12月30日

来月の舞台稽古が終わりました。

新猿之助さんと共演です。
「四の切」では忠信と静御前はかつて勤めていますが、今回勤めます義経は初めてです。
義太夫狂言はいつもどおりまず文楽から勉強し始めます。
忠信を勤めた時に現源大夫当時の綱大夫のお師匠さんに稽古をしていただいたことが有りますが、その時の経験も今回は生きてきていると思います。
祖父2代目鴈治郎が先代の猿之助兄さんの四の切で義経を勤めている資料があり参考にしていますが、独特の空気感は真似するというよりイメージの一つとしての貴重な資料という感じでしょうか。

この四の切場面は義経は平家との戦いの後頼朝都の確執の最中です。
義経の気品・位取り・大将としての威厳。
要求されることの多い役です。

そして、最終的に狐である偽忠信に親狐の皮で作られた小鼓を差し出します。
途中からは狐と人間という非現実の世界にお客様を誘います。
嘘でしょということを何の違和感も無く本当のことにお見せする事は容易ではありません。
大切なのは物語の登場人物になりきるということでしょうか。

歌舞伎の醍醐味が満喫されている一場面ですので、是非ご覧下さい。

澤瀉屋ご一門との共演はめったにありませんので私自身は楽しみにしています。

一つ新中車と共演する演目がないのが心残りです。

稽古は三回きりでしたが是非劇場で私が立役を勤める初芝居をご覧下さい。

http://www.kabuki-bito.jp/theaters/osaka/2013/01/post_1.html

私のホームページからもチケット申し込めます。

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「本日15時58分より」

2012年12月29日

NHKホールで上演されました「酒屋」がNHKのEテレで放映されます。


是非御覧ください。

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「ありがとうございました」

2012年12月28日

27日12時 築地本願寺 18代中村勘三郎告別式が始まった


正面に両手を合わせて微笑む勘三郎の兄貴の写真が飾られ、会葬者にお礼を言っている

お兄さんの足跡を辿るビデオが流れ、プライベートの映像も流れ、お兄さんの57年が十数分にまとめられた

共に過ごした時間、芝居の夢を語り、夜通し酒を飲み、ゴルフをしながら語り合い、舞台の上で命を削り、叱られ、誉められ、喧嘩をして、新しい挑戦に数々取り組み、結果に涙して、また次に突き進み、何もかもが濃厚な時間

ヒロチャンまだやりたいことがあるから頑張って来るよ

といって手術に向かい最後の会話となった哲明さん

お返しに頂いた"ありがとう"と書かれたボトルにありがとうございましたと語っても返事はない


体に染み込んだ記憶だけがこれからの道しるべとなってしまった

残った者でお兄さんの「やりたいことがあるから」のやりたいことをやっていくことが、私達ノリアキさんに関わったすべての人のこれからの生きる道なのでしょう

ありがとうの言葉にはこちらこそ心からありがとうございました

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「本日顔見世千穐楽」

2012年12月26日

今年の最後の舞台顔見世興行が千穐楽を迎えました。

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京都市内は雪がちらつき一段と寒さが厳しくなって来ました。
ご観劇下さった皆様誠にありがとうございました。
この場を借りて御礼申し上げます。

5日に訃報が届き團十郎のお兄さんが途中休演となり、激動の1ヶ月が終わります。

明日は築地東本願寺にて十八代目中村勘三郎本葬が執り行われます。

午後2時より一般の方の弔問を受け付ける予定ですので最後のお別れに是非いらして下さい。

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「和菓子のクリスマスツリー」

2012年12月25日

 
もう一つのクリスマスツリー
 
和菓子です
 

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「メリークリスマス」

2012年12月25日

クリスマスツリー.jpgのサムネール画像
南座の楽屋から鴨川方面を望む私の部屋です

楽屋のクリスマスツリーです
 
皆さん素敵なクリスマスをお迎え下さい
 
 
 
 

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「いよいよ歌舞伎座演目発表」

2012年12月22日

杮落しの演目が4月〜6月までの3ヶ月分発表されました。

http://www.kabuki-bito.jp/news/2012/12/post_685.html

私は4月と5月の2ヶ月間の出演となります。

6月は久し振りに国立劇場の歌舞伎鑑賞教室に出演致します。
現在は演目選定中ですので、決まり次第掲載致します。

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「婦人画報」

2012年12月22日

いま発売中の婦人画報お正月号で虎之介が書き初めをしています。

見てやって下さい。


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「顔見世パンフレット」

2012年12月22日

舞台写真掲載のパンフレットが出ましたのでお知らせします。

今月もサインをしてパンフレットを販売させて頂きます。
締め切りは26日千穐楽とさせて頂きます。

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一部¥2,500(送料・消費税込み)

ご希望の方はお名前ご住所を明記のうえ下記のアドレスに部数を添えてお申し込み下さい。
入金方法を折り返しお知らせします。入金確認後に郵送させて頂きます。

ご応募お待ちしています。

suzumenokai@senjaku.com

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「凄い技」

2012年12月21日

誕生日にあたり凄い技を駆使したプレゼントを頂きました。

お鮨のバースデーケーキ?

マカロンやロールケーキなどのお菓子の寿司桶?
紋はクッキーです!

和菓子のバースデーケーキ
小さなネズミと羊が乗っていますが、一緒にお祝いした同じ誕生日の森田恭通さんの干支が羊で僕がネズミなんです。

皆様ありがとうございました!

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「52 歳」

2012年12月19日

本日誕生日を迎えました。

6歳で初舞台を踏み8歳から22歳迄歌舞伎を離れ、大学卒業から30年目。

舞台に戻って30年が経ちました。初舞台からは46年。

勘三郎の兄貴のいない正月を迎えますが、新たなスタートラインに立った気がします。
初心に返り舞台に臨みたいと思っています。

皆さんこれからも宜しくお願いします。

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「総選挙」

2012年12月18日

人生で初めて棄権しました。
今回は公示前の11月末から京都に入り投票出来ず棄権となってしまい残念でなりません。

結果は出ましたが、私が常々思っていることはやはり国会議員の数が多いのではないかと感じずに入られません。
あと、国会議員のバッジを無くすことは出来ないのか。
法律でバッジは義務付けられているようですが、海外の国会議員はつけているでしょうか。
あのバッジを付けなくては国会議員に見えないようでは情けないような気がしますし、周りの人間はバッジに頭をさげ本人に頭をさげているのでしょうか。
国会において議会に入る時に議員であることの証明らしいのですが、本人確認の方法は別にできると思います。
権力の象徴である議員バッジを外して国会議員一人ひとりの意識改革が必要な気がしてなりません。

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「口上」

2012年12月18日

5日以降の口上は非常に辛いものがあります。
おめでたい事と辛いことの同時進行ですから言葉に困ります。
口上は自分自身の言葉で申し上げるので書抜(かきぬき:台本のことです)がありません。
湿っぽくしたくないのですが、変に明るくも語れず、勘三郎の兄貴のことは列座して順番待ちの時には思い出さないように勤めています。

新勘九郎さんの船出を祝う気持ちが一番に伝わらなくてはなりません。

口上の余談です。

9月大阪の松竹座の襲名披露口上の時に「二人が子供の頃僕の事をいか兄いか兄と呼んでいまして、恐らくいかした兄さんという意味だと思います。」と申していました。
ご質問が多かったのでイカ兄の由来を明かします。
そのいか兄の真相は兄の翫雀がふぐ兄と呼ばれていてこれはゲームのスーパーマリオの水中に出てくるキャラのフグに兄が似ていてそう呼ばれていた流れで、そのそばで泳いでいるイカのキャラクターが目が大きかったので、弟の僕はイカ兄になったんです。
口上では話を作っていました。真実を明らかにしここにお詫び申し上げます。

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「バースデーケーキ」

2012年12月18日

誕生日は明日19日なのですが、少し早いバースデーケーキを頂きました。

これは感激です。

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カットするのがもったいない気もしましたが夕霧の部分を綺麗に四角にしてカットし私が食べさせて頂きました。

ありがとうございました。


糖質ダイエット休憩!

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「糖質ダイエット」

2012年12月18日

ご質問がありましたのでご紹介致します。

http://www2.plala.or.jp/eddie/slim2/sl201.htm

このベージをじっくりお読みになって参考になさって下さい。

もともと僕は運動を継続的にしていますのでこのダイエットは効果があると思われます。
基礎体力がある程度しっかりしている方にお勧めできる方法ではないでしょうか。

ただお酒が抜けていないので今停滞しています。

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「吉田屋」

2012年12月17日

玩辞楼(がんじろう)十二曲之内という副題がついているとおり鴈治郎家の代表演目の一つです。この鴈治郎は私の曽祖父に当たる昭和10年に亡くなった初代中村鴈治郎を指します。
この演目について少しお話を致しましょう。

今回父の坂田藤十郎の演じている藤屋伊左衛門(ふじやいざえもん)は、上方歌舞伎の代表的な役の一つでこの役を自分のものに出来れば上方和事の後継者となりうる役です。

役の性根は勿論ですが役のムードや匂いが出せるかが重要なポイントになってきます。
匂いと言っても鼻で嗅ぐ臭いではなく役全体から漂ってくる香りをイメージしていただきたいと思います。はんなりという言葉が大阪にはありますがその雰囲気です。
文章では表しにくいのですが、結局ムードという表現になるのでしょうか。

この伊左衛門と私が今回演じるところの"夕霧"の間には一人子供がすでにできています。
演じる上でここが重要なポイントになってきます。
二人は事実上夫婦であるという事をまず性根に置かなくてはなりません。
役一年ぶりに自分に会いに来たご主人に最初そっと手を肩に乗せる時に恋人ではなく旦那さまの体に乗せる感覚が必要なんです。
その違いを出すことはこれも口では説明できない感覚です。
優しさとでもいうのか久し振りに戻ってきて恋人なら愚痴の一つも言いたいのでしょうが、夫婦の信頼感のようなものを持つように心がけています。

ここから二人の世界が始まるのですが、常磐津と義太夫の掛け合いは舞踊ではなく芝居にならなくてはいけません。振りがあるのですが踊りというより必然にその動きが気持ちから出てきて絵面になるということなのですが、これがまた至難の技です。
歌舞伎が他の演劇と大きく違う部分がここなんです。
日本舞踊を体得していない表現できませんので、演技力プラス舞踊力とでもいいますか、その部分が重要なポイントになってきます。

今回、前回夕霧を演じた時と衣装を替えた話はしましたが、小道具も一箇所変えました。
それは、一番最初に顔を隠して登場する時に手にしている持ち紙の大きさです。
今回はそのまま胸に入りられる大きさにして芝居の途中で後見が出てきて取り替えることをやめました。
前回
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今回
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違いがお分かりでしょうか。
たいした代わりは無いように見えますが、その後の中で後見が出ないことによってお客様にも私自身も流れが途切れず集中出来るメリットが生まれました。
ちょっとした事で変わってくるものです。

そして、二人の痴話喧嘩が始まります。
夕霧はあくまでもストレートに気持ちを出し伊左衛門ははぐらかしていきます。
ただそれだけのやり取りの中でお客様に飽きさせない難しさがこの演目にはあります。

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口に咥えている袱紗は伊左衛門と夕霧を演じている役者の紋を染めます。
演者が変わればその都度小道具さんは染めなくてはいけません。

この演目の難しさは体から発散する匂いが無くては何も面白く無いというところに尽きると思います。

二役合わせて100回演じてきたことがやっといきてきたのか、今回は父が「いいムードになってきた」と終演後に呟いていましたので少し自信には繋がりましたが、完成のないのが舞台であることは承知しています。

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「玩辞楼十二曲「吉田屋」」

2012年12月13日

明日中日を迎える顔見世興行も連日多くの方にご来場頂きありがとうございます。

昼の部で私が出演しています玩辞楼十二曲の内「吉田屋」のお話を少し致します。

この演目には伊左衛門で2回、夕霧で2回計4回出演していますので公演回数で言いますと
100回出演してきたことになります。
今回は101回目の父の伊左衛門で夕霧の新たなスタートです。

まず初めに準備段階として衣装選びから入ります。
掛け(かけ)を何を使用するか衣装やさんと相談から始まります。
夕霧は2枚掛けを使用します。
最初の出に前回黒を地色とした松竹梅の柄を縫い込んだものを使用しました。
2枚目は前回鴇色(ときいろ)と言ってピンクの地色の掛けを使用しました。

まず最初の掛けですが今年平成中村座の御所五郎蔵の皐月の時に使用した孔雀柄の掛けを使用しようかと考え父に相談しましたが、古風な感じが無く夕霧にはふさわしくないのではないかとの意見でしたので、通常使用している松竹梅の掛けを用意しました。
しかし、どうしても一度試してみたかったので衣装やさんに仕事をしてもらい舞台で使用出来る状態になった12月5日父の許可を取り使用してみました。
重さが従来使用していた松竹梅より軽く扱いやすいのですが、丈が短く重厚感に欠けやはり吉田屋の場面ではどうもしっくりきません。
かくて孔雀は儚い一日の生命となってしまいました。
しかし、このようなチャレンジは続けていくべきだと思っています。
伝統は革新から生まれるという言葉が大好きですから。

さて、2枚目の掛けですが、今回は私が伊左衛門を勤め父が夕霧に回った時に作った藤色の掛けを使用することにしました。この掛けは父がその時一度使いその後は衣装やさんの配慮でどなたも使用してない貴重な掛けです。
今回は私が使用させていたただきます。
非常に派手で幕切れの華やかさにピッタリの衣装で大変気に入っています。

これで衣装は揃いましたが後の準備は体型です。
常磐津の文句に「やせ衰えたが目に見えぬか」という言葉が出てきます。
すなわち夕霧が病で臥せっていた後の伊左衛門との再開ですのでふくよかな健康そうな体(てい)ではその言葉に合いません。

久し振りにダイエット敢行です。
糖質ダイエットを選択しました。
結果は舞台をご覧下さい。
少し写真でもお見せしますが・・・

今回初使用の藤色の掛け

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1日限りの孔雀の掛け

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いつもの松竹梅の掛け

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どちらがいいでしょうか?


少しだけは痩せたのですが

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演目のお話は改めます。

本日はこれにて、皆様劇場でお待ちしています。


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「帰路」

2012年12月12日

お通夜から一夜明け11日の午前東京から京都に向かう帰路、心配した雪もなく新幹線は途中徐行を含め9分遅れで京都に到着。

10日の夜というよりは11日の朝は4時過ぎに小日向の勘三郎邸を後にしました。
哲明(ノリアキ)さんの肉体と最後のお別れ。

じっと顔を見ていても何も浮かばず空虚な感じです。
過去を思い出すと同じ時間が必要になるぐらい濃密な時間を過ごしたと思います。

只今は空虚な時間が過ぎていきます。

考え方一つで感じ方が変わってきて、周囲の方たちを見ていると改めて人柄がわかってきます。
通夜では大勢の方が思い思いに語り否定したい現実を嘆きます。

時間が過ぎることを待ちましょう。
どう過ごすかをしっかり考え無駄に生きないように。

新幹線の車窓から大好きな富士山がいつもどおり姿を見せていました。
今までで見た中で一番綺麗かもしれません。
思わずシヤッターをおろしました。

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静かな気持ちになりましたが、まだ空虚感は消えません。


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「好物」

2012年12月 9日

崎陽軒のシューマイ

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言わずと知れた横浜名物の崎陽軒のシューマイですが、今朝品川駅で買い求めました。
15個入550円
勘三郎の兄貴が大好きだったんです。
6日の夜自宅でこの話になり久里子姉ちゃま(勘三郎さんの実姉の波野久里子さん)子供の頃からお兄さん好きだったんですかと尋ねると「そんなことはないわよ」と予想外の答えが返ってきたので、今朝お茶とともに駅で購入し、何故好きだったか食べてみることにしました。
フタを開けると整然焼売が並び可愛い醤油入れと辛子がついています。
しかし朝からいきなりシュウマイだけというのもきついのですが、カラシをまずそれぞれの上に載せ醤油受けに醤油を出します。たしか哲明さんもカラシ乗せてたような覚えがあるので。
一個食べ暖かくなくてもいけるなと思い二個三個といくうちに不覚にも空箱にしてしまいました。朝から焼売だけ。
哲明(ノリアキ)さんは楽屋でも朝からがっつり食べる方でしたが僕は楽屋ではあまり食事は取りません。逆流性食道炎の兆候もあり女形の時は特にものを食べません。
焼売の魅力にいつも以上の朝食を取ってしまい、今日の食事は終演後の夕食となりそうです。
勿論好みもありますが、何か納得した気がします。

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「名前」

2012年12月 9日

8日の終演後再び東京の小日向に向かう。

東京駅に勘三郎の兄貴の付き人元(もと)ヤン(元野君と言って、もとのもくあの芸名で舞台にも出ています)が東京駅まで迎えに来てくれた。哲明(ノリアキ)さんの優しさなんだろう。
ご自宅に着くと昨日納棺されて棺の中で寝ている哲明さん。
もう直接触れない。その横に新しい名前を書いた紙が添えられている。
戒名だ。名前は発表前なので公表は控えますが、哲明さんらしい名前です。
しかし似合わない。と言うよりはまだ要らないはずの名前。

優太(児太郎君)がお疲れ様でしたとすぐにピールを出してくれて又五郎さんと野田(秀樹)さんと笹やん(笹野高史さん)とで静かに乾杯をしていると、仮眠をとっていた好江さんが「ヒロちゃんお帰りなさい」と明るく声をかけ下さる。起こしてしまったことを詫びると「いいの大丈夫」とまた明るく答えて下さる。

宗生(むねお)君(橋之助さんの次男)が豚まんを薦めてくれるのでありがたく頂くが、神楽坂の五十番の立派な物が出てきて戦う羽目になってしまう。

鶴松と国生(くにお)君も出てきて鶴松がすぐに寝て役に立たないと皆になじられて何とか言い訳をしている。

笹やんは明日から青森にロケなので今日が最後だと名残惜しそうにスケジュールを恨んでいる。

野田さん達と他愛もない話でワインが進む。

雅行が戻ってきて場が明るくなり、戒名を見て「なんて読むの読めないよ。」といっているが、読めないより要らないが本心だと思う。

棺にかけられた壺折に小さな焼け目がついていて、お線香の火が飛んだらしいのだけど、名誉の為に犯人は伏せておこう。

雅行がナイルのカレーを出され「こんな時間にここでこれが食べられるなんて」と大喜びでいっきに完食すると「お父さん食べたいだろうな」と一言。

又五郎さんを送る時に「送りません」といってお身内は送るのを控える。
あれは何故だろうという話になり、「喪をその方に送らないためじゃない。その人についていかないためでしょ。」と一番学のある野田さんの意見に一同納得し、その野田さんを送る時に雅行がわざと玄関まで行って「喪(もー)」と言いながら手を伸ばす。

そういうことは哲明さんが大好きだったのでさすが親子だ。

2時になったのでもう一度顔見て退室しようと思い棺の傍の戒名を見たが、誰の名前なんだろう。という感じ。

今朝、京都に向かう新幹線で日経新聞の最終面に掲載された野田さんの文章に、読まなきゃよかったと悔やんでもその時には遅かった。


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「ご自宅」

2012年12月 8日

6日の終演後に戻り哲明(のりあき)さんに会って来ました。

5日は報道陣も多くご自宅も弔問の方々でゆっくり傍にいられないと思い京都に残り、哲明さんと一緒に行った店を回って来ました。

何が起こったのかを理解しようとしても受け入れられないんです。

6日に東京に戻ると自宅のリビングで多くの花々に囲まれ布団に寝てらして、船弁慶の壺折の衣装が掛け布団の上からかけられています。
静かに静かに寝ていらっしゃいます。

文章にすることが嫌なんです。

しかし、哲明さんは多くのお客様の為に駆け抜けてきた方で、情報発信をいつも心がけていました。
舞台の幕が開くと下手の黒御簾の中からいつもお客様に入りを気にして客席を覗くんです。

この数ヶ月ブログの更新をほとんどしていなかったのも哲明さんのことがありました。

情報発信の気力が出ないんです。

哲明さんの顔をじっと見ていると一人でも多くの人に歌舞伎を見てもらってくれ語りかけてきます。

映画のワンシーンに自分が出演していて、「ハイ、カット」の声を誰かが掛けすっと起き上がりいつものように酒を酌み交わす。

そうとしか思えません。

親しかったみんなが周りにいつものようにいます。
新橋の芸者衆が仕事着のままそこに座り哲明さん声を掛けます。
やはり映画のワンシーンです。

もっと色々教えてもらいたかった息子の虎之介がお線香に火がついて対処に困っています。
哲明さんがそれを見て笑いそうです。

時間は止まりません。京都に戻らなくてはいけないので自宅を離れます。


これからつまらない事でもくだらない事でも発信していこうと思っています


哲明さんのことも。

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「哲明さん」

2012年12月 5日

今は言葉がありません。

京都に来る前に病院で心のなかで言葉を交わしてきました。

しかしこの日を迎えたくはありませんでした。
時間は止まりも戻りもしません。
残酷にも時間は進みます。

前を向く心が今一番必要だと強く感じています。
私の体に染み込んだ哲明さんの魂を心の支えにして今日も舞台に立ちます。

勘三郎さんを愛したすべての方と共に感謝の気持ちを捧げ、ご冥福をお祈りします。


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