中村扇雀の公式ブログ

「「恐怖時代」と戦って」

2014年8月21日

このブログは今月「恐怖時代」をまだご覧になっていない方で千穐楽までに見る予定の方はストーリーをあかしてしまいますのでご覧になったあと読まれることをお薦めします。

舞台をご覧になった方とご覧になる予定のない方はお読み下さい。


この作品は初日の上演時間から役10分短縮して2時間15分が現在は2時間6分程になっています。これにはカットをしたのではなく舞台転換が早くなったことや芝居のリズムやテンポができてきたことに起因しています。
初日から数多くの変更点がありそれにより芝居も変わってきています。
血の出方も一定ではありません。仕掛けの問題です。今日まで3回梅野の血の出方が予定通りに行きませんでした。一度しかご覧にならないお客様が殆であることを考えると技術的なミスは無くしたいと願っています。
今日まで16回務めたことになりますがまだまだ奥が深く、一言一言の台詞の持つ意味やバックボーンそれによって無限大にある台詞の言い方からベストを探すことの難しさに直面しているのが現実です。特に第一声の「梅野」の台詞が難しいのです。
連日のように細かい発見により微修正を繰り返し作品の持つ魅力を舞台上に再現する努力をしていますが、原作どおりに上演すると4時間以上は掛かる作品です。そして、初版は発禁になったほどト書きの描写がグロテスクでとても現実に谷崎潤一郎の原作そのままを歌舞伎で上演出来る内容ではないようには感じています。
しかし上演を決めた以上は正面から向き合わなくてはいけません。
大半のお客様は原作をお読みになっていらっしやらないと思いますので、ご覧になったあとに何でこんなものやるのと思われることに対しての心配が一番でした。
耽美主義と言われる谷崎ですから、美を追求する中でこの作品のように人の欲と死は外せなかったのでしょうか。お銀の方と伊織之介の関係は純粋だったのでしょうか。原作ではお銀の方が産んだ照千代は死にませんがお銀の方と伊織之介は死を選びます。その死に動機等はいらないのだと思います。2人の世界に陶酔するために死を選んだのでしょう。しかし見ているお客様に納得して頂ける物を提供するにはという疑問が湧いてきました。照千代を殺したのは逃げだったのかもしれません。
朝の11時から上演するには向いていない作品であることは感じています。3部の最初に上演して何か明るい踊りでお客様を送り出す事を望んでいたのですが、「乳房榎」の凱旋公演が決まっていたので今回の順番になってしまったことも演出の齋藤さんとの相談で結末に変化を付けた要因の1つなのです。
照千代を殺すのは齋藤さんのアイデアで、殿様が首を持って下げてお銀の前に放り出すアイデアでしたが私の提案で珍斎に待たせることに致しました。

IMG_20140812_0004.jpg

原作をお読みになった方にはこの場をお借りしてお詫び致します。
お銀が子供のことなどそこまで思っているか!とのお言葉も聞こえてくる気が致しますが、そこは最期切り離して伊織之介と2人で選んだ死の気持ちに浸っているつもりです。
微調整の中に照千代の首の顔もあります。当初目をつぶっていたのですが、今は目の開いている生首です。序幕の寝所でお香を舞台上に多く焚いているのですが、客席まではあまり届いていないかもしれません。
玄澤の最期もゆっくり死んでもらうように微調整しました。お銀と伊織之介の見つめ合う時間を微妙に長くしたり、首に突き刺す刀を当初1本は短く1本は長かったのですが2本とも長いものに替えました。多くの微調整を施しています。
その他にも台詞のボリュームや声の高さ等も様々なことでお銀の方に近づく努力をしています。初日が開いてからも原作を読み返してカットした部分から活かす場所はないか探ったりもしています。3場の幕切れの木頭も靱負からお銀の方に変更いたしました。

試行錯誤してベストなものと思いつつ芝居が変わってきています。
最初からベストを見せろとおっしゃると思いますが、5日間の稽古であったことや原作の半分の時間で上演することなどの理由で変化してきています。またお客様の反応を受けての成長もあるかもしれません。それが進化に繋がればと願っています。毎日その日のベストを目指していますので、変化していくことはお許し頂きたいと思います。

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コメント

昨日拝見いたしました。
皆様力演で、充実した舞台だと感じました。
谷崎の原作は、はるか昔、学生時代にうんざりしながら読んだ、かすかな記憶があるだけでしたので、照千代の生き死には覚えていませんでした。でも、子供がいないとお家乗っ取りという計画がうまくいかないから頭にくる、という論理は通るのではないでしょうか。
谷崎らしい「耽美主義」の舞台になっていたと、私は思いました。演ずる方は大変ですね。
千秋楽まで、どうぞお体大切に、ご精進下さい。

多分ご心配には及びませんよ、。変なざわつきとか、取りあえず私は梅野が萬次郎さんときたと見てびっくりしました。萬次郎さんと勘九郎さんの働きがざわめきの原因。大向こうがまったくかからない事にも途中気付きましたが。普通に周囲の方々、歌舞伎というよりお芝居的に普通にごらんになってまして、殺人や血が多い舞台と言っても、私的には殿様、橋之助さんの殿様が一番殺戮魔で、お銀とカップルはある意味お似合い、で、伊織くんと心中、もどきの最後は、どう考えても逃げ場ないから一緒に死ぬか、の判断は伊織の頭の良さ、私もどう考えてもそれしか浮かばなかったです。お銀の方への愛ではないな、。原作取り寄せましたが、途中までしか読んでおらず、最初は原作とおり、でした、笑。役者さん揃われてるので舞台がどんどん化けますね、。

本日拝見いたしました。
久しぶりの谷崎戯曲で、しかも特に頽廃的な作品だったので期待していたのですが、いくつかの改変もあり、私自身としては全く別のものだという印象です。
一つだけどうしても納得のいかないのは、お銀の出の場面で蚊帳をなくしたことです。これは次の場との対称とお銀の美しさを際立たせるためには絶対必要だと思うのですが、時間的な制約で無理だったのでしょうか。
残念です。

公子さんへ

コメントありがとうございます。色々な条件下で芝居を作っていく中で楽しさや難しさが混在しています。皆様のご批判や励ましを参考にしながら前へ進んで行こうと思っいます。これからも宜しくお願いいたします。

tamさん

大向うがかかる日が殆ですが、今日はどうしたわけかかかりませんでしたね。最期の見え方にはお客様皆様違ってくるのかもしれません。役者と演出家とで稽古ではなく議論する時間も必要だったかもしれません。時間が無いという言い訳は本来してはいけないことだと思っているのですが、中々うまくいかない時もあります。しかし、今できるベストは常に目指しています。

基十郎さん

コメントをありがとうございます。蚊帳を排除したのは苦渋の選択でした。歌舞伎座の屋台の大きさですととても大きな蚊帳になります。原作のト書きでは梅野が一人で外して片すのですが、実際その仕事が時間と手間がかかりできないという判断から排除しました。第二場の蚊帳も小道具さん四人ががりでかけている程の大きさです。歌右衛門の伯父さんがなさった時も写真では確認できませんでした。お銀が手伝うわけにもいかず、今回の演出を選択いたしましたが、私も幕開きは蚊帳の中に居たかったのです。第一声の「梅野」原作では蚊帳の中なので「梅野、梅野」と2度呼びます。稽古では原作通り2度呼んでいたのですが、蚊帳がないので直接梅野に聞こえるため「梅野」と一度にしていますが、これが原作のイメージが出ないのでまず苦労しているところです。さて、この作品は原作と違って見えることは否めないと思っております。まず上演時間の成約や発禁になったト書きの残虐さ等考えると作品を読んて想像を膨らました方が本作を堪能出来るかもしれません。ただ頽廃的な作品とは感じませんでした。絢爛豪華な色彩や残虐さの中にやはり耽美的なものを感じたので演出の斉藤さんとは美しさを忘れないことに眼目をおきました。映画でも原作のほうが面白かったと思うものもあります。何しろ大谷崎と呼ばれる文豪の作品です。父は伊織之介を南座で務めた時その大谷崎に手を握って京都四条大橋の上で褒められたそうです。その舞台観て観てみたかった。私が生まれる前です。

お返事ありがとうございました。
苦渋のご決断だったとのこと、ご推察いたします。
蚊帳からの出での扇雀丈の美しさを想像し、
どうにも口惜しく書き込ませていただきました。
千秋楽まで後少しですが、暑さも続いております。
どうぞご自愛専一にお祈り申し上げます。

基十郎さん

お気持ちありがとうございます。皆様のご意見が何よりも支えとなり次の公演のヒントにもなりますので、この先もご遠慮なさらずご意見お寄せ下さい。宜しくお願いいたします。

本日、舞台拝見致しました。
お銀の妖艶な演技に、流石!と膝を叩く場面が幾つも見られ、大変に見応えがありました。

最後の、照千代の首のくだりがどうも腑に落ちなかったため、色々検索していたところ、扇雀さまのブログに辿り着きました。
采女正が首を持ってきたほうが、筋的には通る気がしましたが、珍斎に持たせることにしたのは、どのようなアイデアから来たのでしょうか?

頽廃的な作品と言われていますが、勘九郎さん演じる珍斎が大変面白く、筋としての荒々しさに一筋の明るさがあったことが印象的でした。明日の千穐楽まで、駆け抜けてください!

いよいよ千穐楽ですね。今月はすべての部、それぞれ二回ずつ拝見することができました。

「恐怖時代」は救いのないと言いますか、非常に重いストーリーですが、扇雀さんのお銀の方には冷徹さ・非情さの中に美しさととても強い意志を感じ、大変な見応えでとても印象に残りました。

二時間があっと言う間というほど集中し舞台に引き込まれ、客がこんなことを言うのは大変申し訳ないですが座って観ているのに疲れてしまう(もちろん、良い意味です)ほどでした。

このタイトルにも「「恐怖時代」と戦って」とありますが、たくさんのことを考え抜いて舞台をつくられた「魂」を感じ、その舞台に触れることができ大変幸せに思っています。

ありがとうございました。

柏木さん

ご観劇ありがとうございます。珍斎に持たせたのは彼が一味であることでお銀への仕返しの意味や臆病者の彼が持つことの面白さや殿自身は自分で手を下していないと考えたからです。
原作には無いので違和感を感じられたのは谷崎の考えが正しかった証であるかもしれません。

やすしさん

計6回のご観劇誠にありがとうございます。楽しんで頂けて私も嬉しい限りです。この後も長く歌舞伎を楽しんで頂けるよう努力致しますので宜しくお願いいたします。

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