中村扇雀の公式ブログ

「初春大歌舞伎松竹座の舞台写真です」

2016年1月 8日

昼の部「枕獅子」傾城弥生

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夜の部「帯屋」お絹

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「芝浜」おたつ

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並べてみるとお絹とおたつかぶってますね(笑)。

写真:松竹座

今月も後半に舞台写真入パンフレットが販売になりますのでサイン入りの販売を20日頃から致します。

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コメント

本日もお疲れさまです。

宝恵駕行列、扇雀丈のアナウンスのお陰で良い位置で見られました。旧中座の前でお待ちしていたのは、上方のええ時代をもう一度と願うなら、扇雀丈が三代目を襲名した場所が相応しいと思ったからです。

至近距離から声を掛けさせて頂いたときに、お辞儀をされながらも若干ご表情が固かったような気がしたのですが、正体の分からぬわたくしでしょうが反社会的勢力とかとは全く無縁ですのでその点だけはご心配なきよう、念のため。妻からも「貴方の人生は世間一般の常識とは乖離しすぎているから正体不明で警戒してはんのよ」と言われております。

今日の枕獅子も素晴らしかったです。今日の掛け声は、前半において少し少なめにしてみました。出の処と引っ込みの処はたっぷり掛けるのですが、中間部分においてはやや控えめに。前半の扇雀丈は、ほかっておいても美しいですから。

あと、1/6から演目中ただ一度だけ「三代目!!!」と入れております。~代目というのは軽々しく掛けるものじゃないということは知っているのですが、1/6のほぼ完璧な舞踊を見せられた時に、いよいよ二代目扇雀を意識しても良いのではないかと感じたからです。

後半部分は今日も実に良いトランス具合でした。クライマックスの毛振りの処ではわざと盛り上がりの随分前に数回声を掛け、観客としての有終への期待を込めております。そして最後にわたくしの喜びごとで大変恐縮なのですが、最高潮の毛振り処では、渾身の気合いを込めた「成駒屋ーー!!!」を掛けた瞬間、今まで満場の拍手だったところが更に再加速して万雷の拍手に変わること。声掛け冥利に尽きますし、他のお客様との融合感を感じます。

今日も、ありがとうございました。

昼夜通しで見てもったいなかったと思いました。
一つ一つがとてもいいお芝居で一日で見るにはもったなかったです。
時間が許せばもう一度伺いたいと思っています。
枕獅子 華やかで勇壮でした!
帯屋と芝浜、ほんとにかぶってますね(笑)
どちらもほんと凜として素敵です!
舞台写真を見て昨日の感動が蘇ります。

宝恵かごの扇雀さまを間近で、またご挨拶を終えて松竹座に入られる時に今日見ます!と声をかけさせて頂いたらありがとうございますと会釈してくださって。
ほんと夢のような時間でした。

ありがとうございました。

パリっ子さん

今日もありがとうございました。舞台は25日間休み無しで続いています。演奏も生演奏ですので録音と違い25回寸分の狂いなく同じ演奏は不可能に近いと思いますので日々私の動きも変化すると思います。それがライブの醍醐味だと思います。スポーツ観戦でも応援している側が負ける日も勝つ日もありますしライブならではの感動が生まれるのではないでしょうか。

あやめさん

ご観劇ありがとうございます。是非もう一度いらして下さい。2度目はまた違った発見があるものです。幕見席もございます。幕見の時はオペラグラスは忘れずに。

本日もお疲れさま。今日は文楽を観てきました。わたくしは、闘う三味線 鶴澤清治が大好きなのです。あっちの世界も化け物ぞろいです。

さて、年初から昨日まで都合4回の枕獅子を拝見し、ここにきてようやく思うことがありました。

完璧を求められる舞台側と違って、歌舞伎の大向こうは各人が自由に掛けますので当然、五月雨式になります。しかしわたくしは最近、この五月雨式こそが必然であり、かくあるべしと思うようになりました。各人それぞれがそれまで別々の瞬間を積み重ねてきたのであり、それら全ての瞬間が尊いと全肯定されるとき、「さ・乱れ」こそが大向こうの本質だと俯瞰されるからです。

それに対して舞台には完璧への姿勢が求められます。特に枕獅子の前段では四季語りをして大自然の美しさを表現しているのですから完璧でなければ大自然が大自然たりえないのです。年末の演奏でお馴染みのベートーベンの第九交響曲は、その大曲出現以前、音楽とは神の象徴であり交響曲に人間の合唱を混在させるということはあり得ませんでした。その常識を覆し、第四楽章まで切々と大自然の美しさ・神々しさを表現し、ついにクライマックスにおいて不完全なはずの人間の肉声がその完璧なる大自然と渾然一体となって感動の大団円を迎えます。その救済方法において最後まで神そのものと同化することのないキリスト教文化でこれをやることは実に奇跡的なことなのです。よってベートーベンはこの第九交響曲によって、それまでのクラシックのパラダイムを完全に過去のものとしてしまいました。本当の天才というものはこういうものです。また、これを超える曲が未だないと思われるのも、無理ならざることでしょう。

そう観ますと、この第九交響曲と枕獅子とに強い相似が見て取れます。後段にトランスを用いている所は少し違いますが、前段で大自然・宇宙の美を見せておいてクライマックスで観客と大自然・宇宙を融合させる。松竹座において先ず行われるのは絶対的な美と観客ひとりひとりの直列的融合です。そしてその後、最大1033通りの直列的融合が束になって並列的に融合し、劇場全体が主客融合を完成させるのです。

つまり、この枕獅子も奇跡の名曲です。扇雀丈のおかげで、ここまで理解が辿りつけました。ありがとうございました。

19日のお昼の部と、22日の夜の部を拝見致しました。

[枕獅子]、毛振りがとにかく迫力があって暫く余韻に浸りました。後見の方々の息がピッタリ合っていらしたのも、お見事でした。

[芝浜革財布]は、年明けのテレビ中継で予習が出来ましたので、観やすかったです。

次回、関西の舞台で扇雀さんのお姿を拝見出来ます日を楽しみに致しております。
更なるご活躍、お祈り致します。

マンゴープリンさん

いつもご観劇ありがとうございます。後見との連携も引き抜き等がある演目は重要なのでそこにも注目して頂けて嬉しい限りです。今年は昨年に比べると関西の出演が少ないのが残念です。

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