中村扇雀の公式ブログ

「博多座千穐楽のお詫び」

2014年3月 2日

2月25日博多座千穐楽の夜の部
「土屋主税」終演後に約2分程観客の皆様拍手を続けて下さいました。が、それに気づかずすべての衣裳また鬘もとってしまい、裸の状態になってから気付き皆様の前に改めてカーテンコールとしてお答えできませんでした。

本当に心残りです。
この場をかりて拍手をして下さった皆様にお詫び申し上げますとともに1ヶ月間のご後援心より感謝申し上げます。

この後も大好きな博多で何度も歌舞伎公演ができますことを心より願っております。

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コメント

博多座千穐楽、昼夜観劇しました。カーテンコールの件は仕方がない事だと思います。大丈夫です。

博多座、楽しかったです。
封印切で、ずっと会いたかった忠兵衛に会えた時の梅川の喜び方がとても可愛らしかったです。
今日も素敵でした。
二人椀久は、幻想的でうっとりしてしまいました。
傾城反魂香は、おとくの驚きに私も一緒に驚いていました。

三月四月歌舞伎座、楽しみにしています。


先日はサイン入りパンフレット頂き、家宝と思い大事にしております。カーテンコールは歌舞伎役者さんは慣れていない、と気付き、なるべくしないようにはしています、が、欧米文化の舞台に慣れたものとしては、今の歌舞伎役者さんはどっちが嬉しいのか逆にわかりません。私は歌舞伎見に行き始め、歌舞伎ではさっさと、帰るのが普通と、逆輸入文化でも周囲に合わせてやっている、適当な感じですが、歌舞伎役者様のハードなスケジュール考えれば早く帰って下さい、という気持ちにもなりますし。取り敢えず印象的だったのは先日英国でオペラバレエ行きまして、カーテンコールの際、観客が写真を撮りまくってました、ある意味、金のかからない宣伝で、どっちがいいのかと、、、。著作権問題とか、、、まあ、色々難しいですね、、、。私も博多は気に入りました、今月も歌舞伎座いく予定ですけど、東京行っても買いたいものがみつからない、、、博多は食べ物、空港でも満載で、結構、楽しい。鰹買う為に嫁売る様な東京はごめんですわあ、、、美味しいご飯がない東京は、まったく今も住みたいと思いません。

梅☆さん

博多座観劇ありがとうございました。カーテンコールの件は本当に残念で申し訳なく思っています。けれどもお客様がそれだけ喜んでくださったという事をしっかり受け止め、今後に繋げてきたいと思っています。

tamさん

家宝だなどと恐れ多いことです。観劇の記念くらいにしておいて下さい。カーテンコールは自然発生の場合と演出の場合がありますが、勿論歌舞伎の歴史にはカーテンコールの習慣はありません。日本には元々拍手の習慣がないので大向うが生まれたとも言われていますので。ただ、現代においては欧米の習慣が日本にも入ってきているので歌舞伎でもカーテンコールが発生することもあります。ただ、先日は千穐楽ということと、その日のうちに片付けて東京行きの飛行機に乗る方とか全く予期していなかったこととかが重なり、私としては大変残念な結果となってしまいました。

博多座公演お疲れ様でした
昼の部の封印切でのセットがぐらつき
ざわつきましたが
翫雀さんの忠兵衛さんが
おえんさんに
「あんさん この戸、きつく締めすぎてまっせ~」
の返しをさらりと言って
セットが無事であり、演者さんや客席も安堵して
いい空気感を感じました
夜の部の傾城反魂香は水手鉢の書き入れる
と表側に絵が浮き出てくる場面
「わぁー不思議ですねー」 
とおば様方が口々に呟いていました=確かに!
土屋主税の本懐を成し遂げ去って行く
源吾を見送る姿は素敵でした

そう 残念でしたアンコール
幕引き担当者が幕から手をを離されたときに
もう 今回は無理だなーって思いました

最前列でしたので余計に
演者さんの汗や目線の位置で感情がヒシヒシ伝わって
きました。
またの博多座お待ちしております

およよさん

ハプニングの遭遇率高いですね!舞台はなまものですので色々なことが起きます。そこがまた楽しさの1つではないでしょうか。博多座に伺うの楽しみにしています。ありがとうございました。

カーテンコールといえば、10年以上前だったでしょうか京都南座でありました藤十郎丈の曾根崎心中?で、歌舞伎では珍しく舞台最後に丁寧にお礼を申し上げられる舞台がございましたね。
上方歌舞伎の演目だったとは思いますが、何という演目名だったか忘れてしまいました(苦笑)
マスコミでもカーテンコールのある非常に珍しい舞台だと話題になっていたので、私も観に行き、藤十郎丈が丁寧に丁寧に観客にお礼を言われている姿は今でも印象に残っております。
今回のブログを拝見し扇雀丈もやはり観客を非常に大事にされておられるのが、よくわかります。

3月、4月と南座で歌舞伎がかかるので両月ともチケットを買いました。
3月は初日に観劇し、2月に歌舞伎座で観た時と同じ松緑&菊之助丈の花形歌舞伎ですが、南座ではよくよくお顔が見え、細かな演技まで拝見でき舞台と一体化した気持ちになられ、舞台の構造により違うものですね。
お江戸の演目の歌舞伎も良いですが、南座、松竹座と地元でどんどん上方歌舞伎を観たいものです。
 と言いながら・・・私は無教養をさらけ出しますが、上方歌舞伎というものがあると知ったのはつい最近なのです。
去年の10月、愛之助、壱太郎丈の歌舞伎を松竹座で観劇後、出待ちしておりましたら壱太郎丈が一緒に写真を撮って下さいました。
その際に関西弁だったので「関西弁なんですね?」と聞きますと「ところどころ」と答えられ、「何で東京のお人が関西弁話すんやろ?」と不思議に思ったのです。
その後、関東の歌舞伎ファンの人に話すと「壱太郎丈の成駒屋さんは上方歌舞伎の人ですよ」と教えられ、恥ずかしい思いをしました。

そういえば、私は叔母上の玉緒さんの出身の京都女子の高校に通ったのですが、
玉緒さんを教えられた先生が「玉緒さんは丸顔の可愛らしい生徒だった。『鴈治郎のサインをもらってこい』なんてイジメる意地悪い同級生がいた。」という話を聞いた事がありました。
なので鴈治郎ご一家が京都に住まわれていたという知識はあったのですが、一時的に住まわれていただけの東京の俳優さんだと思っていたのです。
図書館で上方歌舞伎関連の本を探すと、さすが上方だからでしょうか、軽く10冊以上は本があり片っ端から読みました。
上方歌舞伎の演目については、京都女子高校の文化祭でよく観た演目も多かったので、「あれも上方歌舞伎の演目だったのか!」と、演目の内容は馴染みがありました。
藤十郎丈、扇さんの「夫婦の履歴書」等も拝読し、なぜ東京に行かれたかもわかりました。
 
今は経済・文化の中心は東京になっている印象ですが、文楽を元にした歌舞伎演目も多い事ですし、せっかくの薫り高い上方文化を大事にしていかないといけないですね。
微力ながら上方文化鑑賞をどんどんしたいと思っていますので、南座、松竹座での上演はもちろん、醍醐寺等の京都のお寺、以前のように比叡山での歌舞伎も観たいなあと思っています。
藤十郎丈の曽根崎心中は歌舞伎座で最後になられるそうですが、できれば南座か松竹座で終えて頂きたかったなあと残念に思います(笑)

ピンクのバラさん

私も東京生まれ東京育ちですので義太夫の言葉や上方狂言のイントネーションは非常に苦労します。やはりネイティブの方とは微妙に違ってしまいますが、最大限努力しています。やはり義太夫狂言については文楽の音を基本として勉強していきます。関西での歌舞伎公演を増やす努力は必要だと痛感しています。

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