中村扇雀の公式ブログ

「12月19日0時01分」

2015年12月19日

55回目の誕生日を迎えました。

同じ誕生日で仲良しの森田恭通さんと初めて一緒に。


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次の1年も健康第一!!

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コメント

初めまして。お誕生日おめでとうございます。初めて書きこもうと思ったその日が、扇雀丈のお誕生日とは、誠に不思議なご縁です。わたくしは、大阪市在住、今年1月の鴈治郎襲名披露公演から、観劇時にはガンガン声を掛け始めた者でございます(初音会不所属)。

成駒家の芸を観ると、しみじみと、歌舞伎とは観客と役者との一期一会の果たし合いなのだ、と感じます。1対1033なのではありません。どこまでも1対1、それが1033通りあるのだと。そうでなければ乗り越えられない隔絶を乗り越え、そうでなければ共有できない深淵を共有せんとするのが歌舞伎であると。わたくしは、その隔絶を乗り越える橋の一助にならんという気概で声を掛けております。

さて、昨日の南座で『碁盤太平記』初見しました。あれ、めっちゃくちゃ格好いいですね。そして激しく胸を打たれました。特に、「あほぅ、母を棄て、妻を棄てるのはわしらだけじゃないんじゃい、四十余人全員がそうなんじゃ、ぼけー!!」みたいな所で涙が溢れました。おかげで、最後のひっこみのところで掛ける「今日は最高だったよ、たとえ今日死んでも構わねぇ、アリガトヨの声掛け」が、自分でもビックリするくらいひっくり返ってしまいました。二回とも。自分の声はかなり大きい方なので少し申し訳なく思いました。

しかし、それくらい良かった。25日間見られるくらいに良かった。これから何度でも見たいから、あれを三代目の曾根崎心中にして欲しいと心底から思います。隣の妻とも、「大阪平成中村座千穐楽昼の部の時の扇雀丈も『うっめぇなー』と唸ったけど、今日はもう別格だったな」と感心至極にございました。

さて、次お会いできるのは23日夜の部(夜の部は今回二度目)です。一度見ておりますので、一演目目の扇雀丈の出の所からバッシーンと掛けていきますよ。高音大きめの声がわたくしです。口上でももちろん。

そして年明けの松竹座は当然、複数回行ってバシバシ掛けるつもりです。今後、松竹座で一ヶ月でも多く歌舞伎が上演されるよう、力を合わせてまいりましょう。

重ねて、お誕生日おめでとうございます。

お誕生日おめでとうございます

扇雀さんがずっとずっと
健康でおられますように‼︎

そして
ご家族・ご一門の皆さま方も
大事なくお過ごしになられますようにと
お祈りしております

今日は
お誕生日の観劇に参ります☆


おめでとうございます。今年も南座で何よりです。充実の役者人生、邁進して下さいね。

お誕生日おめでとうございます!この一年も扇雀さんにとって素晴らしい年になりますように…!
顔見世、先日昼の部を拝見させていただき、千穐楽の12月26日に夜の部を拝見させていただく予定です。
一月も昼の部だけですが、観に行きます!
楽しみにしています!

お誕生日おめでとうございます。
今後もご活躍を!!

あと1週間もすると私も誕生日
幸せのお裾分けを頂きました。

お誕生日おめでとうございます。
中村座での伊之助さんにどっぷりハマりました。
これからのお舞台もとても楽しみにしております。

お誕生日おめでとうございます♪
また新しい一年の始まりですね。扇雀さんにとってより素敵で素晴らしい一年となられますよう、お祈り申し上げます。
顔見世、来週伺います!今からとても楽しみです(*^^*)

お誕生日おめでとうございます。
今年は中村座で伊之助さんに再会でき、とても嬉しかったです。
この一年が扇雀さんにとって素晴らしい一年になりますように、
お祈り致しております。

お誕生日おめでとうござます!

大阪、京都に飛んで行きたい気持ちを必死におさえて、こちらのお写真やコメントから想像を膨らませています。

一日でも早く、舞台の扇雀さんにお会いしたいです....。


先日、所用で札幌に行ってきました。

扇雀さんの巡業の時のブログを思い出して、すすきのの"河庄"を探して訪ねました。

恐る恐る暖簾をくぐったのですが、女将さんも常連の方々も大歓迎してくださって、美味しいおでんと父が大好きだった日本酒、"国稀"の"河庄"をいただきながら、アルバムも見せていただいて、それは楽しい幸せな時間を過ごさせていただきました。

もちろん、ブログの写真と同じショットの写真も撮らせていただきました。

女将さんの笑顔がステキな一枚です!

扇雀さんのおかげで、心温まる夜になりました。

ありがとうございました。


この一年も、扇雀さんにとって素晴らしい年になります様に。

精一杯応援させていただきます。

お誕生日、おめでとうございます☆
進化し続ける扇雀さんの舞台を、これからも楽しみにしています!

お誕生日おめでとうございます!
顔見世昼の部の『碁盤太平記』、2度拝見しましたが2度とも素晴らしくて涙が止まりませんでした。
来月も松竹座で扇雀様の舞台を拝見できるのを心待ちにしております!(*^_^*)

おめでとうございます(o^^o)

いつまでも、舞台の上で輝いていてください(o^^o)

扇雀さま
お誕生日、
おめでとうございます☆彡
私の周りでは、歳を重ねることを
バージョンUPをし、更にパワーアップしました!と言っております。
扇雀さまは、55バージョンになったということで、さらなるご活躍を願っております。
来月、松竹座の舞台も楽しみにしています。

松竹座のパリっ子さん

ありがとうございます!大向うは歌舞伎の一部です。これからも舞台と一体化して歌舞伎を楽しんで下さい。素晴らしいコメントありがとうございます!

たまねぎさん

ありがとうございます!健康第一に頑張りたいと思います!

tamさん

ありがとうございます!顔見世は身が引き締まります。

アリスさん

ありがとうございます!また劇場でお待ちしています。

岡山のくまさん

ありがとうございます!そして早いのですがお誕生日おめでとうございます!

惠美子さん
ありがとうございます!伊之助大好きな役になりました。

ささりさん

ありがとうございます!今年はかなりハードでした。来年はペースも大事にしたいと思います。

梅☆さん

ありがとうございます!大事に年を重ねたいと思っています。

うりぼーさん

ありがとうございます!河庄に行っていただいてありがとうございます!ブログが役に立って嬉しい気持ちです。

オガさん

ありがとうございます!進化には苦労もあるのですがされも楽しみの一つです。頑張っていきます!

源九郎狐さん

ありがとうございます!『碁盤太平記』復活させてよかったと思います。持ち役が増えるのは嬉しいものです。

rikauriさん

ありがとうございます!舞台頑張っていきます!

はあみさん

ありがとうございます!良い考え方ですね! バージョンUP目指します!

というわけで、さきほど23日の夜の部を拝見してきました。『輝虎配膳』みたいな、静かで緊迫感のある演目は声の掛けどころがなお一層難しいですが、好きですねー、ああいう観てるこっちまで喉がかわきビリビリと痺れる感覚は。また、二回目だと初見時よりもより詳しく扇雀丈の芸を見ことができて、唸りまくっていました。

狂言では掛けどころが少なかったのでその分、口上ではバッシーンと遠慮なく。扇雀丈の口上の素晴らしいところはですね、とにかくその誠実さが波動となってこちらの胸板を揺さぶるところです。

あらゆる表現者はすべからく、誠実さをその礎とせねばならないと、わたくしなどは思います。その真っ直ぐな切実さが、なにか物理的なエネルギーとなって、隔絶された我々を複数の音叉のように共振させるのだと。

今後も一観客として、扇雀丈の波動に浴せることを心から楽しみにしております。

本日は、二度とない時間と空間をありがとうございました。

パリっ子 さん

こちらこそありがとうございます。お客様によって支えられている私達ですので力強いコメントは励みになります。昼の部の「碁盤太平記」の幕切れの木頭で1階の客席から"成駒屋"の声が多くかかり嬉しい限りです。

1階席から沢山のですか、それは珍しい。1階席からの声については従来から批判も多いですし不快感を感じられる方のことは最大限配慮されるべきですが、唯一例外的に、幕切れにおいてはどの場所からもあってしかるべき、と考えています。抑えきれない感情・感謝の爆発、と申しましょうか。

とにかく、それほどに良いんですよ、この演目は。繰り返しになりますが、三代目の曾根崎心中にまで育てて欲しいと切に願います。

それでは、この『碁盤太平記』の演出について質問です。歌舞伎美人の「ようこそ歌舞伎へ」において、扇雀丈は今回の演出について以下のように仰っています。

>内蔵助にとっては、敵討ちがすべてに優先しています。幕切れで初代は花道を内蔵助が先に立って引っ込んでいましたが、4月に一度勤めてみて今回は、主税が先、内蔵助が後に入るように演出を変えます。そこは“初代さん、ごめんなさい”ですね。

>主税は母と祖母に未練を残していますが、内蔵助は妻にも母にも未練を断ち切っている。そこで初代は内蔵助が先に入るようにしたのだと思います。ですが、演出として非常に辛口なので、今回は母と妻との別れをお客様に見せようと考えました。

なるほどと思いました。ただ、多くの観客が求める演出としてはそちらの方でしょうが、公正性を主眼とした場合、内蔵助は先に入った方がいい、という気もします。つまり、他の45人に配慮すると、彼らは最期に親にも妻にも会えていないわけです。それはこの演目において「母親と妻が国元から意見しに来た」とわざわざ唄っていることからも明確です。とすると、「自分たちだけ」が親と妻と死に目に会えているわけです。ならば、障子を挟んだ陰影での別れと、さらには灯火が消えての闇のなかでの触れ合いだけで充分有り難しと思われ、それ以上は迎合的に過ぎるとも考えられるのではないでしょうか。人の上に立つ内蔵助であるがゆえに、もちろん母と妻に対する感情は未だ断ち切れないけれども、それでも公正性を優先させ、先にいくべし、と。

わたくしは半年ほどニューヨークに住んだことがあるのですが、アメリカにおいては「ファミリーのため」と言えば何でもかんでも許されます。公共の利を足げにすることはもちろん、犯罪すらも(感情的には)許されるほど自己中心的です。滅私して、主のため、公共のため、というのは歌舞伎の中心命題であり、古来から続く、日本の最高峰の文化です。世界の何処にも類のない、この奇跡の知恵があるからこそ、我が国の文化はここまで洗練されたのです。

わたくしはこの国をこよなく愛するがゆえにこの部分が気になったのですが、扇雀丈はいかがお考えですか。

こんばんは。昨日今日と伊勢神宮に行ってきました。我が家では10年以上前から年に4回以上は伊勢神宮に参るのですが、1年の区切りのこの時期は、数年前から年始ではなく年末に行くことにしました。これ以上何かを願うのではなく、いま自分が在ること、いままで自分が在ったことを、ただただ、感謝申し上げたいからです。

さて、ここ数回、長文の投稿を続けて申し訳ありませんでした。わたくしがこのブログを発見したのは最近のことで、初めてのコメント投稿をしてから扇雀丈のエントリーを逆時系列的に読み進めていったのですが、ある瞬間、昨年8月の貴殿投稿「『恐怖時代』と戦って」と邂逅した時に、心底から驚きました。ああ、こんな処に本物の『表現者』にならんとする戦士がいるとはね、というか歌舞伎役者にもこういう人がいるのかよ、と。

耽美主義はおそらく、『次の世界』に至るための幾つか在るドアのひとつです。もし、そのドアを開けてその先にあるトンネルを抜けることができれば、全く違う世界観を獲得し、驚くべき効率でものごとを判断することができるようになります。入り口でドアを開ける前は、「えらい遠いところまできてしもうたわ」と思うのですが、トンネルを抜ければ、そこから先こそが実に長く、深く、圧倒的に広く素晴らしい世界が展開するのです。

ただ、『次の世界』の入り口は、当たり前のことですが、同時にこの世界からの出口でもあります。生後ずっと続いた懐かしきこの世界からの出口です。ドア通過の条件として、今までの価値観を完全に捨て去ることが求められます。当然、人は未知の世界に恐怖し、根源的変化を嫌がります。ただ、『表現者』は知っているのです。その先の世界に進んだ方が、圧倒的に輝く、まばゆい瞬間の連続が待っていることを。だから、自らの命を掛けて伝えんとするのです。

だけど、希望に満ちあふれた『表現者』にその先に待っているのは大抵、大いなる悲劇です。悲しみ悲しみ、絶望絶望の連続です。多数の為に良かれと信じてやったその善意により、『表現者』は傷だらけになります。ズタボロになります。向けられるのは、変化を鬱陶しがる彼らの懐疑と敵意ばかり、成果などほとんど皆無の状況に陥ります。強い気持ちで始めたはずなのに、最初からやるべきでは無かったのではと深い悔悟が訪れ、のたうち廻り、悶え苦しむことになる。

扇雀丈が昨年8月にやったのはそういうことです。ただしどうやら彼は、いままで深い絶望を味わい続けてきたはずなのに、まだあきらめてはいないと見える。だからわたくしは、彼を心底リスペクトし、京都南座の顔見せ最中であり尋常ならざる忙しさであるということを知っていながらも、将来いつか何かの端緒になれば、と何度かの長文投稿をさせていただきました。

ただ、それが誠実な扇雀丈の負担になっていたら、と思うと実に申し訳なく思います。よって、今年のコメント投稿はこれで最後にさせていただきますので、もしそうだったとするならば、どうぞご容赦ください。貴殿を苦しめるのは本意ではない。

さて、新年の松竹座はとりあえず、1/2初日昼の部、と1/3夜の部のチケットを取りました。初日はせっかくの機会ですから鏡割りの時間から行って、景気の良い声をバンバン掛けさせていただきます。

そしてできれば、扇雀丈の都合がつくときに一度ご挨拶させていただければ、と思っています。あくまで貴殿の気が向いて、お時間の余裕があるときが訪れたなら、ということですけどね。

それでは良い年末年始をお迎えください。本年は素晴らしき袖の触れ合いをありがとうございました。ああ、歌舞伎は楽しいなぁ。

パリっ子さん

確かではないのですが大向うは日本人の習慣として拍手がなかったので贔屓の役者に対する応援や賛辞の表現として生まれたようです。その起源を考えると大向うに規則を設ける必要はないと私自身は思います。これ以上歌舞伎の敷居を高くはしたくないと思っています。『碁盤太平記』の演出についてのご質問ですが、演出に満点も正解もないということを前提にお話致します。内蔵助があとに入る事を重視したのは演劇のエンターテイメント性を求めた為とも言えます。後から入ったとしても一人残って屋体にお辞儀もせず涙もせず揚幕を見込みます。主税に未練者めと言い切っていますので内蔵助自身は勿論断ち切っています。お客様の余韻が必要なのです。内蔵助の討ち入りに赴く姿をお見せして芝居は幕を迎えたいのです。虚と実、実と虚という言葉がありますが芝居はドキュメントでは有りませんので見終えた時の余韻も必要だと思っています。今回は良い選択をしたと思っています。

パリっ子さん

色々なご意見ありがとうございます。良い年をお迎え下さい。これからも楽しんで頂ければ幸いです。

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